井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

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「井庭研に入ったきっかけは何ですか?」 現役メンバーに聞いてみた。

SFC生にとって、研究会はひとつのhomeのような存在。その研究会にみんなどうやって巡り会うのだろう。井庭研の現役メンバーがそれぞれどういうきっかけで井庭研に入ることになったのかを、メンバーが聞いてまとめてくれた。

「井庭研に入ったきっかけは何ですか?」

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まず最も多いのが、僕の授業を受けて井庭研に興味をもった人である。1年生のはじめに、総合政策学部と環境情報学部の全員必修の科目で、ラーニング・パターンを用いた対話ワークショップを経験するので、そこでパターン・ランゲージや井庭研のことを知ることになる人が多い。

環境情報学の授業での対話ワークショップを通じて、パターン・ランゲージに興味を持ち始めました。パターン・ランゲージは一つの分野ではなく、様々な分野で使用できることを知り、自分も有用なパターン・ランゲージを作ってみたいと思って井庭研に入りました。

入学してすぐに「総合政策学」の授業で、ラーニング・パターンを使った対話ワークショップを経験したのがきっかけでした。そこからパターンをつくってみたいと思い、1年生の秋学期に「パターン・ランゲージ」の講義でパターンをつくり、もっと本格的につくってみたいと思い井庭研のコラボレーション・パターンプロジェクトに参加しました。

「総合政策学の創造」という授業で、社会起業家精神育成のためのパターン・ランゲージ作成を計画していた井庭研OG のえりーさんとお話をしたことがきっかけでした。入学当時の私は社会起業家の研究を希望していたので、自分の研究をスタートさせるためにも、井庭研究室に入りたいと思いました。


僕の「パターンランゲージ」の授業で一度パターン・ランゲージづくりを経験した上で、もっと本格的にやりたいと思う人もいました。

井庭研に入ったきっかけは、「パターンランゲージ」の授業を履修したことです。授業を通して、大好きなファッションをテーマに、コーディネートの入門パターンを作成しました。そこで経験した「つくることによる学び」に感銘を受け、人のためになるモノをつくるだけでなく、私自身も研究活動を通してより素敵な人間になりたいと思い、所属を決めました。

2年生の時に「パターンランゲージ」の授業を履修していて、デザインの領域をソフトな面から支えられるところに魅力を感じました。また井庭研にいた友人の話を聞き、研究会外でのつながりを大切にしている姿勢などにも惹かれ、面接を受けることを決めました。

授業でパターン・ランゲージを作ってはみたものの、満足できずにもっと本格的に作りたいと思うようになりました。決定打は研究計画発表会での先生の「Generative Beauty Projectの活動を日本、アメリカ、韓国に広げたい」というお話。アメリカと韓国に関わってはいたのですが、なかなか点と点が繋がらなくて。それが線になると直感し、「やるしかない!」と思いました。

たくさんの人が知っほうがいいはずなのに、上手く言葉にできないことで伝えられないモヤモヤしたものが社会にはたくさんあると感じていた 1年生の頃、「パターンランゲージ」の授業を履修して「これは使えるかも!」とピンときました。そこで、研究会に入ってより深く学ぶことに決めました。


ほかにも、一昨年まで担当していた「社会システム理論」や「シミュレーションデザイン」という授業をきっかけに来たメンバーもいます。

一つに絞れないくらい、実はいろんな偶然が重なっています。浪人時代にシステム理論の考え方に出会ったこと、1年春で受けた先生の「社会システム理論」の授業で隣になった子(のちの井庭研同期)と仲良くなったこと、ラーニング・パターンのイラストに惹かれたこと、先生と出身高校が同じだったこと、、挙げたらきりがありません!

貧困や差別などの社会問題に興味があったので、社会がひとつの全体として回っていくその仕組みに興味を持ちました。授業(社会システム理論)でたまたま隣に座った女の子と仲良くなり、お互いに井庭研に入るつもりだったこともあって一緒に研究会を頑張れる人をみつけられたのも、きっかけの一つです。

井庭先生の授業を履修していて、ルーマンのシステム理論や複雑系の存在を知り、それらを踏まえた先生の社会学の視点に興味をもちました。それから研究会の説明会にいき、学生が先生とともに最先端を開拓して、様々な分野のパターン・ランゲージをつくっていることを知りました。そこで、ここでなら面白い研究ができそうだと感じ、以前から興味のあったWebシステムの開発をしているプロジェクトに参加しました。

きっかけは2年生の春に受講した井庭先生の「シュミレーションデザイン」の授業です。複雑系の考え方と状況に応じた問題解決について考え、とても印象に残りました。1年生の秋からベイズ統計を学ぶ研究会に入っていて、主観と客観の混じったシュミレーションや分析に興味を持っていました。2年生の秋にベイズの理論と春に受講したシュミレーションデザインで学んだことが自分の中で繋がって、3年生の春に井庭研究会に入ろうと決意しました。


また、SFCが11月に六本木で行っている研究発表のOpen Research Forum (ORF)で井庭研のブースをみたことがきっかけの人もいます。

去年のORFで、井庭研のブースにてパターンランゲージについての説明を受け、その可能性を感じたことです。個人の経験が組織に共有されたり、共通言語となりえるというところに魅力を感じました。研究会のフランクな雰囲気や、プロジェクトと個人的興味が合ったこともきっかけとなり、入ることを決めました。

当時、子どもの社会問題に関する研究がしたいと考え、社会学系の教育の研究が出来る研究会を探していました。その時、偶然、井庭研で教育のプロジェクトのメンバーの募集をしていたことと、1年の時に行ったORFで井庭研のブースでパターンランゲージの考え方が面白いと感じていたこともあり、入ることを決めました。


なんと、SFC入学前の高校生のときにORFに来て、そこから興味をもち、入学後に井庭研に来てくれた人もいます。

高校2年生の時に、友達に連れられて訪れたORFでたまたま、「パターン・ランゲージ」というものを知り、どこの研究会が研究しているのかなどを調べていくうちに興味をもちました。そして、研究会に入るに至ります。

高校生のときにORF2011で学びの対話ワークショップを体験、ORF2012で自作パターンを持ち込み、2013年春から井庭研に所属させていただいています。


そして、パターン・ランゲージと井庭研の考え方に出会ってしまい、他の大学を辞めてSFCに来た人も。

以前通っていた大学でパターン・ランゲージを知り、自分が研究しようと思っていた介護学や超々高齢社会とうまくコラボレーションをして問題解決できるかもしれない、と考えたことがきっかけです。その後SFCに入学し、旅のことばプロジェクト(認知症プロジェクト)に参加して、井庭研に所属させていただきました。


パターン・ランゲージに興味をもっていたというよりも、井庭研が取り組んでいるテーマに興味をもって来た人も多くいます。

教育に関心があったため、教育に関するプロジェクトが立ち上がるということを聞いて2年前に井庭研に入りました。井庭研で活動する中で、人がより良く生きるためにはどのようにすれば良いかを考えるようになり、教育という分野にかぎらず、興味・関心領域は広がっていきました。

今まで、私は、フォトグラファーとして被写体、スタートアップをしてる時は優秀なエンジニアたちと、そしてラジオ番組をやっているときは様々な業種のゲストと関わらせて頂きました。今後も、私は多角的な知識を持った人と仕事をすることになっていくと強く確信しています。特に、起業してから、シリコンバレーに行ったとき、世界を変える法則がマニュアル化されていて、それを惜しみなく次世代にシェアされるスピードが加速する仕組みが出来ていたことに驚きました。世界中の優秀な人材が集まるところには、皆が目の前の利益をもとめず、未来をみて産業拡大と世界を変えることを視野に動いている所でした。
 これは、IT業界だけでなく、様々な場所にも応用できるのではないかなと考えていたところ、井庭崇先生が提唱する、日常生活におけるパターン・ランゲージというもの出会いました。井庭先生が多くの分野の専門家や、様々な立場と、対話をするように、パタンランゲージを通して、新しい世界が見えてくるのかと思い、今期から、入らせていただきました。

わたしは正規履修しているのが飯盛研なので、井庭研では聴講生です。飯盛研で、「住民主体の地域活性化」について研究しています。井庭研で研究している方法論が飯盛研での自分の研究に活かせると思い、入りました!

元は人間の創造性とか、組織の創造性を高めるということに興味があり、そういった研究を行っている井庭研、組織プロジェクトを志望し ました。あと、SFCならではの研究会だと思い、真剣に研究に取り組みたいと思ったのも入ったきっかっけです。

当時の僕は経営コンサルタントに興味がありました。そして井庭研究室では、パターン・ランゲージによって組織のコラボレーションの活性化を試みているプロジェクトがありました。その時はパターン・ランゲージのことはあまりわからなかったのですが、自分の興味分野との一致、そして井庭先生が創造社会について熱く語っている姿から、パターン・ランゲージの可能性を目の当たりにすることで、井庭研究室に入る決意をしました。


また、ホームページやポスターを見て、説明会に来たことがきっかけの人もいます。やはり、ポスターなども出してみるものです。

SFCのHPでたまたま見つけた「ラーニング・パターン」でパターン・ランゲージというものを知り興味を持ちました。1年の春学期に履修していた建築の授業の参考の為にクリストファー・アレグザンダーの本を読み、その考え方や方法をもっと学んでみたいと思いました。

井庭研のマスコットキャラクター、まなぶくんが新規生説明会を宣伝してるポスターを見つけたのが一番のきっかけですね。1年生の初めのときに先生の学びのワークショップを経験して、当時からこの試みは面白いなあと思っていたのですが、まなぶくんを見た瞬間にその感情が呼び覚まされました。

井庭研の説明会で「グローバルライフプロジェクト」に惹かれて入りました。もともと文章を考えることが好きだったので、暗黙知やコツを言語化していく、というプロセスにも興味がありました。


ということで、みんなそれぞれに井庭研との出会いがあることがわかりました。

ちょっと興味が出て来たという人、まずは井庭研説明会に来てみてください。
2015年 1月7日(水)5限に行います(ε21教室)。少しでも興味をもったら、来てみてください(もしこの5限に授業があるという人は、授業後すぐに来てくれれば追加の説明をします)。

そして、シラバスは、こちら。
井庭崇研究室 Creative Media Studio
創造社会をつくるチェンジ・メイカーになる

[創造的な生き方,子育て,料理,ファッション,ビューティー,文化,認知症,防災,農業,ワークショップ,コミュニティ,場づくり,ものづくり]
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Iba Lab: How to Entry (2015) for GIGA Students

Here is an information about how to entry into Iba Lab for GIGA students who does not read Japanese book. If you can read Japanese, please see our complete syllabus written in Japanese.

We basically use Japanese in our lab, but we don't want to close our door to GIGA students. Let's think and talk how to collaborate with you.


Creative Media Studio - Change Makers Toward the Creative Society

[Requirement for Reading]
Before sending the entry e-mail, it is required to read the following papers. These papers are selected for students who does not read Japanese book. *

*日本語が読める人は、ぜひとも『パターン・ランゲージ: 創造的な未来をつくるための言語』(井庭 崇 編著, 中埜 博, 江渡 浩一郎, 中西 泰人, 竹中 平蔵, 羽生田 栄一, 慶應義塾大学出版会, 2013)の方を読んでください。

You can get the PDF files of the following papers from here.


  • Takashi Iba, "Using pattern languages as media for mining, analysing, and visualizing experiences", International Journal of Organisational Design and Engineering (IJODE), 2014 Vol. 3 No. 3/4, 2014, pp.278-301

  • Takashi Iba, “Pattern Languages as Media for Creative Dialogue: Functional Analysis of Dialogue Workshops,” Pursuit of Pattern Languages for Societal Change (PURPLSOC) Workshop, Krems, Austria, Nov., 2014

  • Takashi Iba, “A Journey on the Way to Pattern Writing: Designing the Pattern Writing Sheet,“ Conference on Pattern Languages of Programs, IL, USA, Sep., 2014

  • Takashi Iba, et al., Future Language papers, including "Future Language as a Collaborative Design Method" and other 4 papers.


    [How to Entry]

    Deadline: Jan. 18th, Sun, 2015
    Submitting address: ilab-entry [at] sfc.keio.ac.jp
    Set the title as follows: IbaLab2015 Spring Entry
    To the mail, please attach the file (PDF or Word format) including the following information.

    IbaLab2015 Spring Entry

    (1) Your name, faculty, grade, student ID number, login ID, photo of your face*
     *Snap shots allowed. We just want to make sure that we remember you from any information session or classes.
    (2) Self introduction (please use photos and pictures if needed)
    (3) Reason for the entry & your enthusiasm to join Iba Lab
    (4) What part of Pattern Language you’re attracted in (please answer based on the papers that was assigned for reading. )
    (5) Special skills/what you are good at (graphic design, film editing, foreign language, programming, music, sports, etc.)
    (6) Prof. Iba's classes you have taken (if any)
    (7) Favorite classes you have taken at SFC
    (8) Laboratories the you have joined before at SFC (if any)
    (9) Other laboratories you are considering to join next semester (if any)


    Based on your submission, we'll have interview session on Jan. 26th and 27th.
    Also, attend the presentation day of Iba Lab at SFC on Jan. 31st, Sat, 2015.

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    Creative Reading:『物書きのたしなみ』(吉行淳之介)

    年末に読んだ本のなかに、『物書きのたしなみ』(吉行淳之介, 実業之日本社, 2014, 原著1988)がある。

    その本に収録されている「私の文章修業」というエッセイに、次のような文章が登場する。

    言うまでもないことだろうが、文章というものはそれだけが宙に浮いて存在しているわけではなく、内容があっての文章である。地面の下に根があって、茎が出て、それから花が咲くようなものである。その花を文章にたとえれば、根と茎の問題が片付かなくては、花は存在できないわけである。
     そこが厄介なところで、おまけに一つの作品ができ上ると、いったんすべてが取り払われて、地面だけになってしまい、またゼロからはじめなくてはならない。その上、その土地の養分はすべて前に咲いた花が使い切ってしまっているので、まず肥料の工夫からはじまる(土壌と根と茎が十分なかたちで揃えば、おのずから立派な花が咲くとおもっていいのだが、やはりその花の様相を整えることが必要である。ここではじめていわゆる「文章」が独立した問題として出てくる。・・・下部構造がしっかりさえしていれば、花の整え方はその人の個性に属することで、かなり歪んだ花のかたちでもその人にとってはそれでいいわけである)。(p.36)


    何かをつくるということを、植物をメタファーとして捉えるということは、しばしばある。それでも、この文章に僕が惹かれたのは、まさに最近、庭でいろいろな植物を育てているからだろう。ひとつ作品ができあがると、すべてが取り払われて養分のない地面だけになるという感覚は、作品をつくる(本や論文を書く)という経験にも、植物を育てる経験にも完全に当てはまる。

    もっと言えば、一緒に研究をしてきた学生たちが力をつけたころに巣立っていく、というのも同じような感覚だ。なんだ、結局、僕がやっていることは同じようなことなのだな、とこの文章を読んで、はたと気がついた。

    そして、学問の潮流、いま生きている時代、ひとつひとつの研究テーマの探究期間、大学の年度、プロジェクトの活動期間、季節、毎週の授業 ――― このような幾重にもなる重層的なリズムのなかで、絶えず自分と周囲が更新されていく、そういう生活・人生を生きているのだなと感じた。


    現在、このような仕事・生活をしているのは、20年前は想像もしていなかった。大学院の修士に上がるときにも、修飾するつもりでいたので、博士に進学することも、ましてや大学で研究・教育をすることになることは想定していなかったからである。大学生のころから「学問を究めたい」と考えて勉強をしてきたわけではないのだ。

    そのあたりは、本書の「文学を志す」というエッセイに書かれていることと重なる。吉行は次のように始めた。

    文学を志すという明確な姿勢を取ったことがあったかどうか思い出してみると、少なくともいわゆる作家になる以前にはなかったようだ。(p.71)


    そして、自身の遍歴を語った上で、次のようにまとめている。

    いろいろの偶然が重なって、現在作家というものになっている。そして、そのことに、このごろでは宿命のようなものを感じている。これまでは滓が沈殿して自然発生的に作品を書いていた傾向が強かったが、ようやくいくぶん自分の方向というものが分かりかかってきた。作家として死ぬまで書いてゆくほかなさそうだ、という抜きさきならなぬ気持ちもでてきた。ここで、あらためて、文学を志したいとおもう。(p.78)


    この気持ち、なんだかわかる。しかし、おそらく10年前には、この気持ちは今ほどはわからなかっただろう。でも、今はよくわかる。

    そして、この後に続いて「方向が分かると同時に、自分の限界も分かってきた」ということが書かれているが、それも最近実感するところだ。自分に限界の枠をはめたくはないと常々思っているが、現実問題として「自分の限界」を感じることがしばしばある。35歳を過ぎるというのはそういうことだ、と昔誰かが言っていたのを思い出す。


    あらためて、(新しい)学問を志したいとおもう。



    Monokaki.jpg『物書きのたしなみ』(吉行淳之介, 実業之日本社, 2014, 原著1988)
    Creative Reading [創造的読書] | - | -

    Creative Reading:『天才たちの日課』(メイソン・カリー)

    一昨日、書店で出会った『天才たちの日課: クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』は、いままさに僕が求めていた本だった。

    最近「書く」ということにまつわるパターン・ランゲージをつくり始めていて、これには作家たちがどのような生活を送っていたのかということが含まれる。この本には、小説家、詩人、作曲家、思想家など、なんと 161人の創作生活のスタイルが紹介されている。1人あたり1ページ〜3ページくらいで、伝記やインタビューからの引用も多い。

    ふだん自分の好きな作家のエッセイや伝記は読んでも、なかなか幅広く情報を収集するのは難しい。そのとき、本書のような文献は、その幅を広げてくれるので本当に助かる。しかも、1人あたりの記述が短く、創作生活のスタイルだけに注目して書かれているため、共通点がつかみやすい。

    この本を読んで、まず感じたのは次のことである。
    
    それは、午前中に書いている(つくっている)人がとても多いということだ。午前中の方が、身体が疲れておらず頭が冴えているということと、いろいろな邪魔が入りにくいからだという。たいてい朝起きてコーヒーを淹れて、書斎にこもってドアを締めて書く。多くの人が、午前中のその時間を死守していた(朝食や昼食をどの時間にとるのかは、家族・子どもの有無など他の要因によっても影響されているようだ)。


    例えば、19世紀イギリスの小説家アンソニー・トロロープは、「毎朝五時半に机に向かうこと、そして自分を厳しく律することが私の習慣だった」(p.50)と語っている。こうして、「一日に普通の小説本の十ページ以上書くことができ、それを十ヵ月間続けると、一年で三巻シリーズの小説が三作できあがる」というわけである。

    トーマス・マンも、朝に書く人であった。

    九時に書斎に入ってドアを閉めると、来客があっても電話があっても、家族が呼んでもいっさい応じない。子どもたちは九時から正午まではぜったいに物音をたてないように厳しくしつけられた。その時間がマンのおもな執筆時間だった。その時間帯に頭脳がもっとも活発に働くため、そのあいだに仕事をすませてしまおうと、自分自身に大きなプレッシャーをかけていた。(p.63-64)


    その結果、正午までにできなかったことは、翌日にまわし、また翌日の午前中に続きを書くのだという。

    アーネスト・ヘミングウェイも同じように朝書く人であった。彼は言う。

    取りかかっているのが長編であれ短編であれ、毎朝、夜が明けたらできるだけ早く書きはじめるようにしている。だれにも邪魔されないし、最初は涼しかったり寒かったりするが、仕事に取りかかって書いているうちにあたたかくなってくる。まずは前に書いた部分を読む。いつも次がどうなるかわかっているところで書くのをやめるから、そこから続きが書ける。そして、まだ元気が残っていて、次がどうなるかわかっているところまで書いてやめる。そのあと、がんばって生きのびて、翌日になったらまた書きはじめる。朝六時から始めて、そう、正午くらいまで、もっと早く終わるときもある。(p.84)


    このように午前中(昼すぎまで)に執筆をするという作家には、ウィリアム・フォークナー、村上春樹、ヘンリー・ジェイムズ、マヤ・アンジェロー、リチャード・ライト、フラナリー・オコナー、チャールズ・ディケンズ、スティーヴン・キング、バーナード・マラマッド、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ、ウィラ・キャザーがいる。また、心理学者で精神医学者のカール・ユングも、午前中に2時間集中して執筆したという。

    ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテは、朝に取り組む意義を次のように述べている。

    いま私は『ファウスト』の第二部に取り組んでいるが、書けるのは早朝だけだ。その時間帯なら、睡眠によって気力が回復しているし、日々のつまらない問題にまだ煩わされていないからだ。(p.230)


    午前中に執筆している人たちは、午後には散歩に出かけたり、人に会ったり、手紙を書いたり、午前中に手書きで書いた原稿をタイプライターで打ち込んだりする。散歩を日課としている人がとても多かった。結構長い散歩をする人が多く、そうでない場合も複数回散歩に出かける人もいる。そして、昼寝をしている人も思った以上に多かった。

    文章を直したりする(校正)のは、この午後の仕事に入るようだ。そして、昼や午後からワインやウィスキーなどのお酒を飲む人も多い。そして、お酒を飲みながら夕食を楽しみ、読書をしたりして、早めにベッドに入り眠る。

    ウィラ・キャザーは、次のように語る。

    私にとっては、午前中が書くのにいちばんいい時間なんです。ほかの時間帯には家事をしたり、セントラルパークを散歩したり、コンサートに行ったり、友人のやっているなにかを見にいったりします。いつも体調が万全になるように、元気でいるように、心掛けていますよ。書くためには、歌うのと同じくらい健康でいないといけないから。(p.298)


    作家たちの一日のスケジュールのなかで他に印象的だったのは、手紙を書く(返事を書く)時間帯だ。いま、僕らは日々(電子)メールを読み書きする時間が結構あるわけだが、昔の人も手紙を書くのに長い時間を費やしていた。ここで注目すべきなのは、そのような手紙を書くことを、午後にやっているということである。

    僕は、ふだん朝一で仕事のはじめにメールをチェックしているが、もしかしたらこれは創作との両立という意味ではあまりよくない習慣なのかもしれない。午前中は一人の世界にこもり、書き下ろしの執筆に集中する時間とする方がよいかもしれないと感じた(もちろん、執筆以外の仕事との兼ね合いもあるので、時期によっては難しいだろうけれども)。


    さて、話を作品の執筆に戻すと、午前中だけでなく、昼食の後に再び書くという人たちもいる。ジャン・ポール・サルトルは、「午前中に三時間、夕方に三時間、それが私の唯一の決まりだ」(p.148)と語っている。

    詩人のW・H・オーデンは、午前七時から十一時半までのいちばん頭が冴えている時間に執筆した後、昼食後も再開し、夕方まで仕事をしたという。セーレン・キルケゴールも、午前中に執筆し、長い散歩の後、また執筆を再開し夜まで書いた。シモーヌ・ド・ボーヴォワールも、「まずお茶を飲んで、十時ごろに仕事を始めて、一時まで続ける。そのあと友人と会って、五時にまた仕事に戻って、九時まで。」執筆した。

    伝記作家エドマンド・ウィルソンは、9時から書き始め、途中仕事机で昼食を食べ、そのまま午後3時か4時まで書いたというし、ジョイス・キャロル・オーツは、朝八時くらいから午後一時まで執筆し、昼食と休憩のあとまた4時から7時ごろまで執筆をしたという。

    どの場合も、集中して執筆できるのは2・3時間程度だということで、その時間を数セット(1〜3セット)、それぞれの生活のなかで確保している、ということのようだ。チャック・クロースは次のように語っている。

    一度に三時間以上働いたら、ほんとに調子が狂ってくるんだ。だから、理想は三時間働いて、昼食をとって、また三時間働き、そのあと休憩。夜にまた仕事を再開できることもあるけど、基本的にはそれは意味がない。ある時点を超えるとミスが増えて、翌日はそれを修正するのに時間がかかってしまう。(p.102)


    若いころ一日中執筆していたヘンリー・ミラーは、歳をとるにつれて午後の執筆はしない方がよいと考えるようになったという。午前中にしっかり2・3時間集中する方がよいことがわかったのだという。同様にジョン・チーヴァーも若い頃は、午前と午後の両方に執筆をしていたが、後には午前中だけに書くようになったという。

    アンソニー・トロロープは次のように語る。

    文筆家として生きてきた者 ――― 日々、文学的労働に従事している者 ――― ならだれでも、人間が執筆をするのに適した時間は一日せいぜい三時間であるという私の意見に賛同するだろう。しかし、文筆家はその三時間のあいだ、途切れることなく仕事ができるよう、訓練すべきである。つまり、ペンをかじったり、目の前の壁をみつめたりすることなく、自分の考えを表現する言葉が見つかるように、おのれの頭を鍛えなければならない。(p.51)


    詩人のフィリップ・ラーキンは、「二時間以上やると、堂々めぐりに陥ってしまうから、そこで二十四時間あいだを開けたほうがずっといい。そのあいだに潜在意識かなにかが閉塞状態を打ち破ってくれて、また先へ進むことができるようになるんだ」(p.198)と語っている。

    マーティン・エイミスも、次のように言う。

    みんな僕をコツコツきちょうめんにやる人間だと思っているけど、自分では短時間のアルバイトをしているような感じなんだ。じっさい、十一時から一時まで休みなく書けたら、それでもう一日の仕事としてはじゅうぶん。そのあとは本を読んだり、テニスやスヌーカーをしたりしていい。二時間。たいていの作家は二時間集中して書けたら、じゅうぶん満足すると思う (p.180)


    もちろん、作家のなかには夜に執筆するという夜型の人もいる。書くこと以外の勤務仕事や授業・教室をもっている人たちや、夜に書くことが習慣になっている人たちだ。フランツ・カフカやマルセル・プルースト、ギュスターヴ・フローベル、ジョルジュ・サンド、オノレ・ド・バルザックなどである。

    しかし、そういう人はたいてい、昼ころまで寝ていたり、なかなか寝つけないということで薬を飲んでいたりと、つらそうな面も感じられる。他の作家のなかには、若い頃夜型だった人でも、歳をとるにつれ、朝型に切り替える人がいるのもよくわかる。

    例えば黒人女性で初めてノーベル文学賞を受賞したトニ・モリソンは、最初は夜に書いていたが、後に「日が暮れるとあまり頭がまわらなくて、いいアイデアも思いつかない」ために、早朝書くことに切り替えたという。

    作家はみな工夫して、自分がつながりたい場所へ近づこうとする。自分がメッセンジャーになれる場所、執筆という神秘的なプロセスにたずさわることができる場所に。私の場合、太陽の光がそのプロセスの開始のシグナルなの。その光のなかにいることじゃなくて、光が届く前にそこにいること。それでスイッチが入るの。ある意味でね (p.100)

    朝早く起きて書くということがこういうことなのだと考えると、なかなか素敵だ。


    本書で取り上げられている人たちのなかには、インスピレーションを信じている人は思いのほか少ない。その理由を、チャック・クロースが端的に述べてくれている。「インスピレーションが湧いたら描くというのはアマチュアの考えで、僕らプロはただ時間になったら仕事に取りかかるだけ」(p.103)だと。

    その代わり、多くの人が、日々の生活における習慣を重視していた。ヘンリー・ミラーは次のように語る。

    優れた洞察力が働く瞬間瞬間を維持するには、厳しく自己管理をして、規律ある生活を送らなければならない (p.86)


    そのような毎日の繰り返しの重要性について、村上春樹は「繰り返すこと自体が重要になってくるんです。一種の催眠状態というか、自分に催眠術をかけて、より深い精神状態にもっていく」(p.97)のだと言う。

    ジョン・アップダイクも次のように語る。

    書かないことはあまりにも楽なので、それに慣れてしまうと、もう二度と書けなくなってしまうから。だから決まった習慣を守るようにしている (p.292)


    だからこそ、「一日に少なくとも三時間は、いま取り組んでいる新作のために時間を割くようにしている」という。そして、「しっかりと習慣を守ること、それが最後までやり遂げるコツだ」という。

    「書く」ということと、書き続けるための「習慣」というものは、相互に高め合う関係にある。書き続けることが唯一書くことを可能にする。この円環的な営みのなかに入り、それを続ける努力をしなければ、作品をつくり続けることはできない。

    ここで、ドイツの詩人で哲学者のフリードリヒ・シラーの言葉を肝に銘じたい。

    我々は貴重な財産 ――― 時間 ――― を軽んじてきた。時間の使い方を工夫することによって、我々は自分をすばらしい存在に変えることができる (p.232)

    そのとき、どのような時間の使い方をするか、そして、どのような習慣をつくるのかは、自分次第だ。

    絶対的な方法などない。・・・きちんと規律が守られてさえいれば、どんなやり方で書こうがかまわない。もし規律が守れないような人間なら、どんな呪術的行為も効き目がないだろう。秘訣は時間を ――― 盗むのではなく ――― 作ること。あとは書くだけだ。 (p.351)

    これは、バーナード・マラマッドの言葉である。

    そして、多作で知られるジョイス・キャロル・オーツの次の言葉も、私たちを勇気づけてくれる。

    書いて書いて書きまくり、書きなおす。そうやってまる一日かかって、たったの一ページしか書けなかったとしても、一ページは一ページで、それが積み重なっていくの (p.101)


    さらに、ジョゼフ・ヘラーの次の言葉も。

    一日に一ページか二ページを週に五日間続ければ、一年で三百ページになる。それでじゅうぶんだよ (p.204)


    毎日、コツコツと書き続けることが、なにより大切なのだ。

    「書く」ことと、書き続ける「習慣」、この二つの円環的構造を立ち上げることが、書く生活でもっとも大切なことなのだということを、僕は本書から学ぶことができた。


    DailyRituals.jpg『天才たちの日課: クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』(メイソン・カリー, フィルムアート社, 2014)

    Mason Currey, DAILY RITUALS: How Artists Work, Knopf, 2013
    Creative Reading [創造的読書] | - | -

    Creative Reading:『知的生産の技術』(梅棹忠夫)

    最近「パターンの種」をカードに手書きで書くことにしたので、梅棹忠夫の『知的生産の技術』を読み直してた。

    いま、「読み直して」と書いたが、ずいぶん前から持ってはいたが(しかも間違って何回か買ってしまった)、実はあまりきちんと読んでいなかったようだ。おそらく読むときのこちらの視点が定まらなかったために、面白く読めなかったのだろう。

    今回は、自分のパターン・ランゲージのつくり方(特にカードの話)と重ねて読んだので、かなり面白く読むことができた。

    まずなんといっても、この本を再読してもっとも興味深かったのは、ノート(のちにカード)に何を書くのかという部分である。僕も20年近く小さなノート(メモ帳)を持ち歩き、ことあるごとにメモをとってきたが、本書で明言されているのは、そのときどきの「発見」を「文章」として書くということであった。

    わたしたちが「手帳」に書いたのは、「発見」である。まいにちの経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいとおもった現象を記述するのである。あるいは、自分の着想を記録するのである。(p.25)

    心おぼえのために、みじかい単語やフレーズをかいておくというのではなく、ちゃんとした文章でかくのである。(p.25)

    「発見の手帳」の原理は、・・・なにごとも、徹底的に文章にして、かいてしまうのである。(p.26)


    文章にするのは、実際問題、結構難しいのではないだろうか。それはどのように実践しているのだろうか。

    「発見」には、一種特別の発見感覚がともなっているものである。・・・「発見」は、できることなら即刻その場で文章にしてしまう。もし、できない場合には、その文章の「みだし」だけでも、その場でかく。あとで時間をみつけて、その内容を肉づけして、文章を完成する。みだしだけかいて、何日もおいておくと、「発見」は色あせて、しおれてしまうものである。「発見」には、いつでも多少とも感動がともなっているものだ。その感動がさめやらぬうちに、文章にしてしまわなければ、永久にかけなくなってしまうものである。(p29)


    まず「発見」に特化するというのは、とてもよい。持ち歩いているノートには、僕はいつもいろんなもの(発見も含む)を書いているので、ここは違った点。あと、文章ではなく、フレーズや図などでかなり適当なメモを取っていた。実際に今後、僕がノートに文章で書くのかは別として、こういう実践をしていたのだ、ということが興味深い。

    「発見の手帳」をたゆまずつづけたことは、観察を正確にし、思考を精密にするうえに、ひじょうによい訓練法であったと、あたしはおもっている。(p.27)


    このことは、いまでいうならば、文章でなくても、スケッチでも図示でもよいだろう。とにかく、発見を自分なりの表現で書いていくということである。そして、ここから、ノートではなくカードに書くということに発展した、という話が出てくる。

    じっさいをいうと、わたしはいまでは、ここにしるしたとおりの形の「発見の手帳」は、もうつかっていない。いまでは、その機能をカードで代行させているからである。「発見の手帳」における一ページ一項目の原則とか、索引つくりによる整理などの方法が、そのまま進展してカード・システムにつながったのである。(p.32)

    「発見の手帳」も、ずっとまえからカードにかわっているので、いまでは、「発見のカード」というべきであったかもしれない。(p.37)


    京大型カードは、12.8cm×18.2cmのB6判である。たしかに発見を文章として書くには、そのくらいのサイズがよいかもしれない。僕はパターンの種をメモする目的なので、A6判にしているけれども(A6判のメリットは、パソコンで作成したカードをA4に4カード分印刷して裁断すれば、同じサイズにできるということである)。

    ということで、カードの話になると、僕が「パターンの種」をカードに文章で書いているのは、まさにこの「発見のカード」そのものだと気づいた。僕はこれを読んで始めたわけではないので、40年ほど前にすでに梅棹忠夫が実践していたのだと知り、心強く思った。しかも、40年前どころか、もっと昔にそういうことをやっていた人がいるらしい。

    カードを「発見の手帳」ふうにつかった元祖は、新井白石であるらしい。この一八世紀の文化人は、ふところにいつでもカードの束をしのばせていて、何かをおもいつくと、すぐにかきつけた。カードはもちろん和紙であり、かく道具はもちろんん矢立だけれど、原理的には今とまったくおなじである。(p.47)


    このような発見のカードは、分類して貯蔵することが目的ではない。それを用いて知的生産を行うためにある。カードは知的生産の道具なのである。

    カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならべかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在することに気がつくものである。そのときには、すぐにその発見もカード化しよう。そのうちにまた、おなじ材料からでも、くみかえによって、さらにあたらしい発見がもたらされる。これは、知識の単なる集積作業ではない。それは一種の知的創造作業なのである。カードは、蓄積の装置というよりはむしろ、創造の装置なのだ。(p.58)


    カードを「創造の装置」として使う。そうそう、まさにこれだ。「パターンの種」を書いたものを、後にKJ法でまとめていくので、そういうことのために使うのである。僕のパターン・ランゲージの作成では、パターンの種を、もともとは手書きで付箋(ポストイット)に書いていたものを、パソコンでA6(A4を4分割)で書くようになり、そして、同じA6サイズの手書きのカードに書くことにした。どの場合も、パターンの種をパターンへと昇華させるために創造的に使うためのものだ。

    本書のなかには、知的生産の道具としてのカードに対して、反感や不信感があったという話が書かれている。それに対する考えは、道具一般に言えることであるので、当然、創造・実践の道具としてのパターン・ランゲージにもそのまま言える。

    道具はしょせん道具である。道具はつかうものであって、道具につかわれてはつまらない。道具をつかいこなすためには、その道具の構造や性能をよくわきまえて、ちょうど適合する場面でそれをつかわなければならない。どんな場面でもそれをつかえる万能の道具というものはない。また、道具というものは、つかいかたに習熟しなければ効果がない。道具の形をみただけで、ばかにすることもないのである。おそろしく簡素な形の道具でも、つかいなれればまことに役にたつ。(p.62)


    これは、道具としてのパターン・ランゲージにも言えるだろう。パターン・ランゲージはしょせん道具である。パターン・ランゲージはつかうものであって、パターン・ランゲージにつかわれてはつまらない、と。そして、そのためには、パターン・ランゲージをどのように使えばよいのかを習熟する必要がある。そして、実は、ここにまた熟達の領域があるのであり、パターン・ランゲージを使いこなすためのパターン・ランゲージというものが再帰的に登場することになる。

    本書『知的生産の技術』には、冒頭に以下のようなくだりがある。

    学校では、ものごとをおしえすぎるといった。それとまったく矛盾するようだが、いっぽうでは、学校というものは、ひどく「おしえおしみ」をするところでもある。ある点では、ほんとうにおしえてもらいたいことを、ちっともおしえてくれないのである。どういうことをおしえすぎて、どういう点をおしえおしみするか。かんたんにいえば、知識はおしえるけれど、知識の獲得のしかたは、あまりおしえてくれないのである。(p.2)


    これはその通りであり、だからこそ、僕らは学びのパターンを共有するための「ラーニング・パターン」をつくった。そして、もっと広く捉えると、人間行為のパターン・ランゲージ(パターン・ランゲージ3.0)というのは、本書でいうような「知的生産の技術」を共有するための方法であると言うこともできる。

    そして、梅棹は言う。

    この本は、いわゆるハウ・ツーものではない。この本をよんで、たちまち知的生産の技術がマスターできる、などとかんがえてもらっては、こまる。研究のしかたや、勉強のコツがかいてある、とおもわれてもこまる。そういうことは、自分でかんがえてください。この本の役わりは、議論のタネをまいて、刺戟剤を提供するだけである。(p.20)

    知的生産の技術について、いちばん【かんじん】な点はなにかといえば、おそらくは、それについて、いろいろとかんがえてみること、そして、それを実行してみることだろう。たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。(p.20)


    パターン・ランゲージも読んだだけでそれをマスターしたことにはならない。そのパターンをどうしたら自分で実践できるのかを考え、それを実際に試し、そこから学び、自分なりにチューニングしていく。そういうことが不可欠である。パターン・ランゲージの使い方にも秘訣があり、習熟が必要となるのである。

    そうなると、先に引用した「知識はおしえるけれど、知識の獲得のしかたは、あまりおしえてくれない」という話は、そこで話を終えることはできないということに気づく。「知識の獲得のしかたをどのように獲得するのか」という問題は未解決のままだからだ。そのとき「自己変革と自己訓練が必要」だというのは正しいが、本当は、話をそこで終わることはできないだろう。ここは、僕らに残された宿題だと感じる。

    その宿題は、僕はパターン・ランゲージでいけるのではないかと思っている。パターン・ランゲージ(3.0=人間行為)は、「知識の獲得のしかたをどのように獲得するのか」ということもまたパターン・ランゲージで記述・支援することによって、学習の階層を超えて機能する可能性がある。グレゴリー・ベイトソンの学習I、学習II、学習IIIのどのレベルでも、パターン・ランゲージ(3.0)は対象とし得る。そこに、パターン・ランゲージが、従来の(個別レベルを想定した)方法論とは違うポテンシャルをもっているのだと、僕には感じられるのである。このあたりは、今後もっと詰めて考えていきたい。


    最後に、本書の「読書」の章に「創造的読書」ということが書かれていた。僕がこれまで、本から刺激を受けて新しい発見や発想にむすびつけていく読み方を、井庭研流の「Creative 〜」のひとつとして「Creative Reading(創造的読書)」と読んできたが(まさにこのブログのカテゴリーがそうであるように)、ここにすでに書かれていた。40年前にすでに書かれていたとは!この本のすごさを改めて実感した瞬間であった。

    読書においてだいじなのは、著者の思想を正確に理解するとともに、それによって自分の思想を開発し、育成することなのだ。・・・本の著者に対しては、ややすまないような気もするが、こういうやりかたは、いわば本をダシにして、自分のかってなかんがえを開発し、そだててゆくというやりかたである。・・・このやりかたなら、読書はひとつの創造的行為となる。著者との関係でいえば、追随的読書あるいは批判的読書に対して、これは創造的読書とよんではいけないだろうか。(p.114-115)


    今後も、このようなCreative Reading = 創造的読書を続けていきたい。
    そして、40年前には発想・実践されていなかった新しい方法で、「知的生産の技術」をアップデートしたい。そう思い、お気に入りの1冊になった。


    Chiteki.jpg『知的生産の技術』(梅棹忠夫, 岩波新書, 岩波書店, 1969)
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    「パターンの種」を書きためていくカード

    個人的にパターンの種を書きためていくのを、カードに手書きで書いていくことにした。カードのサイズはA6。

    普段のPCでの作業と差異化を図るため、パターンの種はあえて手書きで集めていくことに。

    読書しながら、万年筆でパターンの種の素となる文章を書いていく。

    そういえば、ニクラス・ルーマンもたくさんのカードにメモして理論構築をしていたというのを思い出した。

    PatternCards.jpg
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    2015年は「じっくり」「深く」「書く」一年にします。

    2015年の僕のテーマは、「じっくり」と「深く」と「書く」にしたいと思います。



    じっくり腰を据えて、じっくり味わい、じっくり取り組んでいきたい。


    日常の喧噪から少し離れ、深く潜り、深く考え、論を深めたい。


    そして、論文などの短篇を書くのを極力減らし、長編を書くことに注力したい。
    さらに、「書く」ということについても探究したい。



    広い範囲で激しく動き回るというよりは、深く深く掘り進めることで突き抜ける、そういう一年にしたいと思います。
    

    2015年も、どうぞよろしくお願いします。


    Iba2014.jpg
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    2014年に庭で栽培した野菜と果物

    ここ数年、庭でいろいろな野菜や果物を育てている。

    多品種少量生産で、それぞれ1株か2株程度で、多いときでも5株しかつくらない。

    2014年に栽培した野菜や果物たちをまとめてみると、こんな感じになる。

    ナス、きゅうり、ミニトマト、キャベツ、白菜、カリフラワー、枝豆、アスパラガス、プリンスメロン、すいか、落花生、大根、しいたけ、ぶどう(デラウエア)、ブルーベリー、いちご、ローズマリー、金柑。

    18種類のうち9種類は初挑戦。「そんなふうに実がなるんだ!」とか「こんな感じの花なんだ!」と、どの季節も楽しんだ。

    これだけ種類をつくっていると、「どんなに広い畑をもってるの?」とよく聞かれるけれども、ごく少量しか生産していないのと、季節に応じて同じ場所に違うものを植えるので、結果的にいろいろな種類の野菜・果物を育てられている。

    植える前には腐葉土を加え、徹底的にまぜて土壌をつくる。春夏は日々水をやり、適宜、有機肥料をあげる。

    毎朝のちょっとした変化が楽しいし、季節を感じることができる。

    そして何より、自分で育てたものを採れたてで食べるのはおいしい!

    そんなわけで、来年は家の庭だけでなく、学生も巻き込みながらSFCの周辺でも畑を始めようと企んでいる。

    Garden2014.jpg
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    Creative Reading:『探求の共同体』(マシュー・リップマン)

    マシュー・リップマンの『探求の共同体:考えるための教室』を読んだ。

    本書のテーマは「探求の共同体」であり、「教室を探求の共同体に変える」ということについて論じられている。

    「教室を探求の共同体に変える」ことは、いかにして可能なのか。リップマンは、「あるときには紙と鉛筆で練習問題を繰り返し、次には自由に遊ばせるといった、厳格な時間と無計画な時間とを交代して行うだけでは解決は訪れない」という。そうではなく、「計画性と創造性の両方を育むような方法を発見すること」が重要だと指摘する。つまり、教科学習と総合的なプロジェクト学習を交代して行うのでは、だめだというわけである。

    ジョン・デューイが述べたように 「反省的に考える習慣を作る【方法】は、【興味】を引き起こし、興味を導く【条件】を整えることにある。つまり、経験されたものの間に連関を作り出すことである。それが、未来のさまざまな場面で【示唆】を促し、考えの連続に【連関】を与える問題と目標を作る」 のである。連続性を欠くカリキュラムは、経験の連続性をなんとか学ぼうとしている子どもたちにとっては、なんの模範にもならない。子どもは何が起きているのかを知る鋭い感覚を持っている。しかし、自分で物事を連続的にとらえる方法を、いつも理解できているわけではない。(p.12)


    ここでリップマンは、物語のような教科書の重要性を指摘するが、僕の実践でいうならば、それこそが井庭研で行っている研究(探究)プロジェクトということになる。実際に何かを「つくる」ことを通じて学ぶという、「つくることによる学び」の実践である。

    例えば、今年の例で言うならば、認知症の方がどのような工夫をして前向きに生きているのかをまとめたパターン・ランゲージをつくるプロジェクトは、それをつくる過程で、認知症のことについても、インタビューの仕方についても、文章の書き方も、表現の仕上げ方も、ビジュアル化の秘訣も、冊子のデザインについても、パターン・ランゲージとは何かや、パターン・ランゲージをつくるときには何が大切なのか、ということすべてが学びとなる。そこには、国語や美術や歴史という区分はない。ひとつながりの経験のなかに、学ぶべきことがいろいろなかたち、いろいろなタイミングで登場する。

    リップマンは、探求の共同体で起きることを、以下のように紹介している。

    生徒たちが敬意を持ちつつ互いに意見を聞き、互いの意見を生かしながら、理由が見当たらない意見に質問し合うことで理由を見いだし、それまでの話から推論して補い合い、互いの前提を明らかにするということである。探求の共同体は、既存の学問の領域の中に閉じ込められずに、探求が誘う場所へと進み続ける。対話は論理に従おうとし、ヨットが向かい風を斜めに受けてジグザグに前に向かうように、真っ直ぐにではなく進んでいく。しかしそうしているうちに、その対話の流れは、思考の流れに似てくるのである。結果、参加者はその流れを内面化し、その対話の【手順】に似た【動き】の中で考えるようになる。つまり、その対話の流れこそが思考であると考えるようになっていくのだ。(p.22)


    まさに、井庭研のプロジェクトで起きていることそのものである。

    そして、興味深いのは、「その対話の流れは、思考の流れに似てくる」という指摘である。そして、参加者は「その対話の流れこそが思考であると考えるようになっていく」という。これが、コラボレーションによる創造である。僕に言わせれば、その「コラボレーションによる創造」と「思考における創造」は、単にアナロジカルに似ているというのではなく、創造の観点からみるとそれらは同じ過程である。そのことを直接的に指摘するのが、僕の「創造システム理論」である。

    それはどういうことかを、以下の引用を出発点として考えてみたい。

    探求のテーマとなった事柄については、私たちはもはやそれまでの信念を持ち続けることができない。一度探求が始まれば、信念をいったん保留させるような証拠が提示され、探求が締めくくられるまでは、何事も疑ってかかることが行われなければならないからだ。探求を進める中でたえず自己修正を繰り返し、それがいろいろな形で落ち着くことによって、むやみな懐疑主義に陥る土壌も徐々になくなっていくだろう。あるテーマについての探求の終わりに、問いが解決されて結論に至ることで、また探求の結果、再構築され、さらに練り上げられた新たな信念を持つこともできるようになるだろう。(p.60-61)


    ここが、本書のベースとなっているチャールズ・S・パースのいう「探求」(探究:inquiry)と、僕の「創造システム理論」が重なる部分である。創造システム理論では、何かをつくるとき、何らかの発見(気づき:discovery)が連鎖的に続いていく。ここでいう発見というのは、「科学的発見」や「発明」というような「大きな発見」(Discovery)というよりは、そのプロセスにおける小さな気づき(discovery, finding)のことを指している。どのような大発見も、その過程においては、小さな発見(気づき)が無数生じている。それらの発見は、あらゆる発見が起き得るのではなく、その当該の創造に関わる発見だけが、その創造において意味をもつ。それをシステム理論的に捉えるならば、創造は発見の連鎖であり、その発見は現在進行形の創造の要素として生じるという意味で「オートポイエティック」(autopoietic)であるというのが、創造システム理論で主張していることの本質である。発見の連鎖が創造プロセスの本質であるが、その発見は現行の創造に依存している。この円環的な関係を表すシステム理論の概念が「オートポイエーシス」(autopoiesis)なのである。

    システム理論の性質上、どうしても、一般的な創造を語らざるを得ず、それゆえに説明が抽象的になりわかりにくくなるのであるが、上述のリップマンのような説明を介することで、少しは理解がしやすくなるかもしれない。まず、「探求」は、いまはない何らかの結論に至るということであるから、僕の言う意味での「創造」と同義である。それゆえ、上述の「探求」は「創造」と読み替えて読むことができると考えよう。ある「探求」(創造)が始まると、絶えず「疑念」(問い)が生じ、それらの疑念が次々に「解決」されていく(問いに対する答えが発見されていく)。これが発見の連鎖ということで描きたい創造プロセスの姿である。

    さて、本書のテーマは探求であり、それは創造性に関わるので、創造的な思考についての考察も多い。なかでも、橋渡し、転移、翻訳などで求められる「アナロジーを用いた推論能力」についての次の指摘はとても重要だ。

    このようなスキルは、科学的領域だけでなく、芸術や人文学の領域でも必要となるものであり、創造的スキルの中では最も包括的なものであり、分析的スキルの中では最も想像力を用いるものである。異なった体系間の翻訳やその中での知識やスキルの転移には、創意工夫に富む、柔軟な知性が必要とされる。そうした知性を育てるには、今私たちがたとえば算数の教育に注ぐのと同じだけの熱心さでアナロジーを用いた推論能力を育む実践に取り組む必要があるだろう。(p.74)


    この部分が重要なのは、単に「柔軟な知性」の重要性を指摘しているからではない。そういうことは、これまでにもたくさん論じられてきた。そうではなく、「算数の教育に注ぐのと同じだけの熱心さでアナロジーを用いた推論能力を育む実践に取り組む必要がある」という主張なのである。いまの個別教科・個別分野の勉強と同じくらいの熱心さで、アナロジーによる推論を実践するような教育が必要であるという話なのだ。知っての通り、現在の学校教育では、このような実践はなされていない。

    興味深いことに、井庭研ではまさにこういうことを日々実践している。ばらばらな出所の様々な経験たちに類似性を見いだしてパターンとして抽出したり、分野を超えてパターン・ランゲージの方法が活用しようと試みたりしているなかで、まさにアナロジーによる推論を日々実践しているのである。新しいテーマのパターン・ランゲージのプロジェクトを始めるときには、建築について書かれたアレグザンダーの著作を読みながら、学びやプレゼンテーションやコラボレーション、生き方などの話として読み替えてみる、というようなこともする。つまり、リップマンが言うような「算数の教育に注ぐのと同じだけの熱心さでアナロジーを用いた推論能力を育む実践に取り組む」ためには、「自分たちなりのパターン・ランゲージをつくる」という教育がひとつの手段として有力だと考えることができるだろう。

    リップマンは「探求の共同体」では、「探求の方法」を「暫定的にではあるが受け入れることが求められる」と指摘する。この点はとても重要な点である。

    一般的な知識伝授型の教育実践から、新しい探求型の教育実践に目を向ければ、複数の実体的な信念を「知識」と偽って教え込む必要がないことに気づく。その代わりに、生徒たちは探求の方法を暫定的にではあるが受け入れることが求められる。これは、探求の共同体のメンバーとして受け入れられるため手続きなのである。(p.58)


    例えば、井庭研でパターン・ランゲージをつくるというプロジェクトで探求するのであれば、「パターン・ランゲージをつくる」という「探求の方法」を「暫定的にではあるが受け入れ」なければならない。それを受け入れられないのであれば、プロジェクトにおいて探求することはできなくなる。方法は(暫定的に)受け入れなければならない。それが「探求の共同体のメンバーとして受け入れられるため手続き」なのである。

    もちろん、このことは、方法について考えたり反省したりすることを否定しているわけではない。「方法」というものは万能ではないので、その限界や副作用について考えることは重要なことである。しかも、「方法」は固定的ではなく、絶えずつくり直される。実践のなかで「方法」がつくり直されていく。そのようなことも、方法を受け入れているからこそできるのであって、方法を受け入れなければ何も始まらない。

    重要なのは、自分が採用している「方法」に自覚的になることである。「暫定的に受け入れている」ことを心のどこかに置いておき、実践しているときも、その方法をどのようにしたらよりよく実践できるのかを考えることが大切である。

    さらに、リップマンは創造的思考について、次のようにも語っている。この点も、パターン・ランゲージとの関係を考えると実に興味深い。

    創造的思考にとって重要なのは、経験と想像力が相互に浸透し合うことではないかと私は考えている。経験との結びつきなしには、想像力は簡単に見当違いの方向にいってしまうし、想像力との結びつきなしには、経験は容易に退屈で、平凡なものになる。しかし、両者がメタファーやアナロジーという形で結びつく場合には、思いがけない幅で存在している新たな可能性の扉を開けることができる。(p.81)


    ここで指摘されている「経験」と「想像力」という区分と関係づけでいくならば、パターン・ランゲージは「想像力」の側の支援をする。パターン・ランゲージを「経験」の代替と捉える人がいるが、それは間違いである。パターン・ランゲージは経験の代わりはできない。ただし、自分にその経験がないことを知り、それがどのような経験でありそうかを想像できるという意味で、それは「想像力」の側に位置している。

    ただし、興味深いのは、その想像力の側に位置するパターン・ランゲージは、(自分ではなく)他者の「経験」に基づいている。「経験との結びつきなしには、想像力は簡単に見当違いの方向にいってしまう」のであるが、パターン・ランゲージは(他者の)「経験」とは結びついているから、想像力が見当違いの方向にいってしまうことを防ぐ。例えば、よいコラボレーションを経験した人の経験がパターン・ランゲージになっていれば、それを知ることでよいコラボレーションとはどういうことかの想像が、少なくとも誰かがどこかで実践しているようなものの範囲でイメージできるようになる。

    そして、パターン・ランゲージは「想像力との結びつきなしには、経験は容易に退屈で、平凡なものになる」ことにも関係する。パターン・ランゲージ ――― 例えば、ラーニング・パターンやコラボレーション・パターン ――― を用いた対話ワークショップをすると、みんな、これまでほとんど注目してこなかった自分の経験が、実は他の人には経験されていない貴重な経験であることを知る、ということがある。自分にとって当たり前の経験が、実は、よい学びやよいコラボレーションに結びついているんだということを感じる。パターン・ランゲージにはそういう効果もある。

    しかも、パターン・ランゲージは「経験」と「想像力」を論理でしっかりと結び付けるわけではない。まさに「メタファーやアナロジーという形で結びつく」ように、両者をつなぐ。それゆえ、「思いがけない幅で存在している新たな可能性の扉を開ける」ことを可能とするのである。

    このようにパターン・ランゲージは、創造的な思考を支援する。しかしながら、パターン・ランゲージを創造性とは逆方向に捉える人が少なからずいる。つまり、「パターンに縛られる」という感覚をもつ人がいるのである。それがなぜなのかを考えるとき、本書の以下の部分は参考になる。

    こうした問題解決のための思考の手続きは日常の私たちの実践の中から取り出された【記述的】なものであるが、それが一旦科学的な探求と結びつけられるやいなや、【規範的】なものとなり、いつも間には【このようである/このようであった】から【このようでなければならない】への移行が起こる。(p.41)


    パターン・ランゲージは、紹介・導入の仕方を考えなければ、いつもこの問題が生じる。何かのパターン・ランゲージを読んだとき ――― 例えばラーニング・パターンを読んだとき ――― この通りにしなければならないと感じる人は、「パターン・ランゲージが創造性を支援する」ということは信じられないだろう。むしろ、強制的に枠にはめられるような印象をもつかもしれない。ヒントであると捉えられなければ、パターン・ランゲージは「はめられる型」だと捉えられてしまう。その点は、紹介・導入の際にかなり気をつけなければならない。相当に注意をした方がよい。

    パターン・ランゲージ、特に、人間行為のデザインを支援するパターン・ランゲージ3.0は、自らの行為を「組み立てる」ことを可能とする。つまり、複数のパターンを操作可能にし、暗黙的に行っている行為を捉え直し(反省的に考える)、自らの行為を自ら選択して実践することを可能にする。

    リップマンがデューイを取り上げて語る、以下の部分は、まさにパターン・ランゲージが目指していることと重なっている。

    『思考の方法』の中で、デューイは単なる思考と反省的思考と呼びうるものとを区別している。反省的思考という言葉によって、デューイは、自らの原因や帰結に対して意識的であるような思考を指し示している。ある考えがどこからやってきたか ――― まさにこの条件のもと、その考えは思考となりうること ――― を知ることによって、私たちは知的硬直から解放されるのであり、知的な自由の源泉であるところの代替可能な選択肢の中から選択を行い、それに基づいて行動する力を得るのである。(p.42-43)


    パターン・ランゲージの個々のパターンは、「知的な自由の源泉であるところの代替可能な選択肢」なのであり、それらのパターンを活用することで「行動する力を得る」のである。そして、「状況」「問題」「解決」「結果」を示唆するパターンによって、「自らの原因や帰結に対して意識的であるような思考」を可能とし、人びとが「知的硬直から解放される」ことを支援するのである。

    そのためにもやはり、既存のパターンを使うのではなく、自らもパターンをつくり、パターン・ランゲージ群の創造の連鎖に入ることが本質的に重要となるのではないだろうか。


    このリップマンの『探求の共同体』は、この他にも、たくさん創造的な刺激をもたらしてくれた。教育や創造性について興味がある人には、おすすめしたい1冊である。


    ThinkingInEducation220.jpg『探求の共同体:考えるための教室』(マシュー・リップマン, 玉川大学出版部, 2014)
    Matthew Lipman, “Thinking in Education”, 2nd ed, Cambridge University Press, 2003
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    2014年8〜12月活動記録

    2014年8〜12月活動をまとめました。


    原著論文

  • Takashi Iba, "Using pattern languages as media for mining, analysing, and visualizing experiences", International Journal of Organisational Design and Engineering (IJODE), 2014 Vol. 3 No. 3/4, 2014, pp.278-301 【情報

  • 井庭崇, 「創造的な対話のメディアとしてのパターン・ランゲージ:ラーニング・パターンを事例として」(招待論文), KEIO SFC JOURNAL - Vol.14 No.1 2014


    書籍

  • Takashi Iba with Iba Laboratory, Learning Patterns: A Pattern Language for Creative Learning, CreativeShift Lab, 2014 【Amazon

  • Takashi Iba with Iba Laboratory, Presentation Patterns: A Pattern Language for Creative Presentations, CreativeShift Lab, 2014 【Amazon

  • Takashi Iba with Iba Laboratory, Collaboration Patterns: A Pattern Language for Creative Collaborations, CreativeShift Lab, 2014【Amazon


    国際学会招待講演

  • Takashi Iba, Invited Talk “Pattern Language 3.0: A New Generation of Pattern Languages,” 10th Latin American Conference on Pattern Languages of Programs (SugarLoafPLoP 2014), Brazil, Nov., 2014 【Slide


    国際学会発表

  • Takashi Iba, “A Journey on the Way to Pattern Writing: Designing the Pattern Writing Sheet,“ Conference on Pattern Languages of Programs, IL, USA, Sep., 2014

  • Takashi Iba, Norihiko Kimura, Shingo Sakai, “`Feeling of Life’ System with a Pattern Language,“ Conference on Pattern Languages of Programs, IL, USA, Sep., 2014

  • Kaori Harasawa, Natsumi Miyazaki, Rika Sakuraba, Takashi Iba, “The Nature of Pattern Illustrating: The Theory and The Process of Pattern Illustrating,“ Conference on Pattern Languages of Programs, IL, USA, Sep., 2014

  • Megumi Kadotani, Shunichi Ishibashi, Kyungmin Lim, Aya Matsumoto, Takashi Iba, “Pattern Language for good old future from Japanese culture,“ Conference on Pattern Languages of Programs, IL, USA, Sep., 2014

  • Sumire Nakamura, Eri Shimomukai, Taichi Isaku, Takashi Iba, “Change Making Pattern Workbook: A Workbook Approach to Pattern Applicationse,“ Conference on Pattern Languages of Programs, IL, USA, Sep., 2014

  • Yuji Harashima, Tetsuro Kubota, Tasuku Matsumura, Kazuo Tsukahara, Takashi Iba, “Learning Patterns for Self-Directed Learning with Notebooks,“ Conference on Pattern Languages of Programs, IL, USA, Sep., 2014

  • Takashi Iba, Taichi Isaku, “Presentation Patterns: A Pattern Language for Creative Presentations, Part I,” 10th Latin American Conference on Pattern Languages of Programs (SugarLoafPLoP 2014), Brazil, Nov., 2014

  • Takashi Iba, Joseph Yoder, “Mining Interview Patterns: Patterns for Effectively Obtaining Seeds of Patterns,” 10th Latin American Conference on Pattern Languages of Programs (SugarLoafPLoP 2014), Brazil, Nov., 2014

  • Arisa Kamada, Sumire Nakamura, Masafumi Nagai, Rika Sakuraba, Takashi Iba, “Personal Picture Method for Self Design,” 10th Latin American Conference on Pattern Languages of Programs (SugarLoafPLoP 2014), Brazil, Nov., 2014

  • Takashi Iba, “Pattern Languages as Media for Creative Dialogue: Functional Analysis of Dialogue Workshops,” Pursuit of Pattern Languages for Societal Change (PURPLSOC) Workshop, Krems, Austria, Nov., 2014

  • Takashi Iba, Shingo Sakai, “Understanding Christopher Alexander’s Fifteen Properties via Visualization and Analysis,” Pursuit of Pattern Languages for Societal Change (PURPLSOC) Workshop, Krems, Austria, Nov., 2014


    海外ワークショップ実施

  • Takashi Iba with Iba Laboratory, Learning Patterns Workshop, The University of North Carolina at Asheville, NC, USA, Sep., 2014

  • Takashi Iba with Iba Laboratory, Generative Beauty Workshop, The University of North Carolina at Asheville, NC, USA, Sep., 2014

  • Takashi Iba, ”Future Language Workshop for the Pattern Community,” Conference on Pattern Languages of Programs, IL, USA, Sep., 2014

  • Arisa Kamada, Takashi Iba, “Workshop: Self Travel Cafe: Workshop to Discover Your Aliveness,” 10th Latin American Conference on Pattern Languages of Programs (SugarLoafPLoP 2014), Brazil, Nov., 2014


    商品

  • Collaboration Pattern Cards, CreativeShift Lab, Sep., 2014 【Amazon

  • Presentation Pattern Cards, CreativeShift Lab, Sep., 2014 【Amazon

  • Learning Pattern Cards, CreativeShift Lab, Sep., 2014 【Amazon


    連載

  • 井庭崇, 「聴いている人が『わくわく』する発表目指そう!」, 「いば先生のわくわくプレゼン教室」(上), 朝日小学生新聞11月7日(金)

  • 井庭崇, 「『わくわく』する発表はどうつくればよいのだろう?」, 「いば先生のわくわくプレゼン教室」(中), 朝日小学生新聞11月14日(金)

  • 井庭崇, 「みんなの前で発表するときが来た!」, 「いば先生のわくわくプレゼン教室」(下), 朝日小学生新聞11月21日(金)

  • 「経験を持ち寄り、創造につなげるパターン・ランゲージ」, クリエイティブ・シフト対談 第1回:井庭 崇 氏インタビュー(1)Biz/Zine, 翔泳社, 2014年11月 【記事


    講演/対談/ワークショップ

  • 井庭崇, ワークショップ「表現力を高める」, 富士見丘学園高等学校, 2014年9月

  • パターン・ランゲージ3.0研究会(第3回), 2014年8月 【Slide

  • パターン・ランゲージ3.0研究会(第4回), 2014年9月

  • パターン・ランゲージ3.0研究会(第5回), 2014年10月

  • パターン・ランゲージ3.0研究会(第6回), 2014年10月

  • 井庭崇, 「研究・論文執筆の指導について」, 神奈川県立Y高校, 2014年9月【Slide

  • 井庭崇, 「コラボレーションパターン活用実践ワークショップ ~創造的なチームをつくるためのパターン・ランゲージの活用~」, Innovation Center Workshop シリーズ:第2回, ウィルソン・ラーニング ワールドワイド株式会社, 2014年10月

  • 井庭崇, 『旅のことば - 認知症とともによりよく生きるためのヒント』完成披露会見, 国際大学GLOCOM, 2014年10月【Slide

  • 井庭崇, 岡田誠, “Words for a Journey - The Art of Being with Dementia (旅のことば - 認知症とともによりよく生きるためのヒント)”, 認知症フレンドリー社会をどのように実現するのか?(Building Dementia-Friendly Society), 東京, 2014年11月【Slide

  • 慶應義塾大学井庭崇研究室 × 認知症フレンドリージャパン・イニシアチ(DFJI), 「『旅のことば』による対話のワークショップ」, 国際大学GLOCOM, 2014年11月

  • 井庭研究室 Self Design Project, 「Self Travel Cafe~自分らしさを見つけよう~」, SFC Open Research Forum 2014 (ORF2014)サテライトイベント, amu, 恵比寿, 2014年11月

  • 井庭研究室 Generative Beauty Project, 「自分らしくいきいきと美しく生きるためのWorkshop」, SFC Open Research Forum 2014 (ORF2014)サテライトイベント, amu, 恵比寿, 2014年11月

  • 井庭崇, 中川敬文, 「未来ヴィジョンを言語化するフューチャー・ランゲージとその実践について」(井庭研究室 Future Language Project), SFC Open Research Forum 2014 (ORF2014)サテライトイベント, コクヨ霞ヶ関ライブオフィス, 2014年11月 【Slide

  • 井庭 崇, 「パターン・ランゲージ3.0:企業の創造力を活性化する最先端の方法論」, セッション「パターン・ランゲージ3.0:企業の創造力を活性化する最先端の方法論」(井庭 崇, 亀田 和宏, 大塚 友美, 岡田 誠, 三浦 英雄, 岩波 純生, 池澤 努), SFC Open Research Forum 2014 (ORF2014), 東京ミッドタウン, 2014年11月 【Slide

  • 井庭 崇「パターン・ランゲージ研究の最新事例(Pattern Language 3.0)」, セッション「実践!創造的プロジェクトを成功に導くパターンとメディア」(中埜博, 堀切和典, 徳田英幸, 井庭崇), SFC Open Research Forum 2014 (ORF2014), 東京ミッドタウン, 2014年11月【Slide

  • 井庭研究室, ワークショップ「Creative Media Studio: 創造的に生きるためのパターン・ランゲージをつくる」, SFC Open Research Forum 2014 (ORF2014), 東京ミッドタウン, 2014年11月

  • 井庭 崇, 「フューチャー・ランゲージ:幸せのかたちに名前をつける」(Future Language: Giving names to the shapes of happiness), TEDxKids@Chiyoda, 2014年11月

  • 井庭 崇, 「パターン・ランゲージで捉える日本」, SFC授業「日本研究概論1」(加茂 具樹, 中山 俊宏), 2014年11月

  • 井庭 崇, 「つくり方をつくる:Pattern Language × Future Language」, 成蹊大学, 2014年12月


    マイニング・インタビュー・ワークショップ

  • Future Mining インタビュー「これからの子育てと働き方」, 薩摩川内市スマートハウス 第1回フューチャーセンタープログラム, 2014年9月 【紹介blog 1 / 紹介blog 2

  • Future Mining インタビュー「食と農業の未来」, 薩摩川内市スマートハウス 第1回フューチャーセンタープログラム, 2014年9月【紹介blog 1 / 紹介blog 2

  • Future Mining インタビュー, 神田外語大学, 2014年10月

  • Future Mining インタビュー「子育てと働き方」, 薩摩川内市スマートハウス 第2回フューチャーセンタープログラム, 2014年10月 【紹介blog

  • Future Mining インタビュー「食と農業」, 薩摩川内市スマートハウス 第2回フューチャーセンタープログラム, 2014年10月【紹介blog

  • Pattern Mining インタビュー「講師力」, F社, 2014年12月


    展示

  • “Words for a Journey”, 展示ブース「認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ」, 認知症サミット日本後継イベント, 六本木アカデミーヒルズ, 2014年11月


    記事・書籍等で紹介していただいたもの

  • 「慶應義塾大学 井庭崇研究室、認知症フレンドリー社会の実現に向けて"認知症とともによりよく生きる"ためのパターン・ランゲージを制作」, SFCニュース, 2014年10月29日 【Webページ

  • 「認知症の新しい辞書に」(1面:今日の紙面)「認知症 前向きに暮らす:慶応大・井庭准教授が冊子(建築学の手法活用)」(17面:地域)「認知症と生きるヒント冊子に:暮らしやすい社会へ(慶大研究室 患者や家族ら経験集約)」(21面:論説・特報), 神奈川新聞11月8日, 神奈川新聞2014年11月8日

  • 「認知症前向きに暮らす 慶応大・井庭准教授が冊子作成 建築学の手法活用」, カナロコ, 2014年11月10日 【Webページ

  • 「認知症を前向きに生きるヒント -慶大研究室作成の「旅のことば」より-」, カナロコ, 2014年11月10日 【Webページ

  • 「今年のORFはワークショップを導入! 『つくる×展示』が叶える創造体験とは ORF実行委員 井庭崇准教授」, SFC CLIP, 2014年11月14日

  • 「未来を語る、未来の言葉『フューチャー・ランゲージ』:井庭 崇 氏 × UDS 中川 敬文 氏トークセッション」, Biz/Zineセミナーレポート, 翔泳社, 2014年12月


    授業

  • 「パターンランゲージ」(井庭 崇 , 慶應義塾大学SFC 2014年度秋学期前半)【資料・映像

  • 「Creative Systems Theory / 創造システム理論」(井庭 崇 , 慶應義塾大学SFC 2014年度秋学期後半)

  • 「Policy Management Studies(総合政策学)」(河添 健、井庭 崇、國枝 孝弘、中山 俊宏, 慶應義塾大学SFC 2014年度秋学期前半)

  • 「Environment and Information Studies(環境情報学)」(井 純、井庭 崇、加藤 文俊、田中 浩也 , 慶應義塾大学SFC 2014年度秋学期前半)


    授業内ワークショップ等

  • Takashi Iba, Experience Mining and Dialogues with Learning Patterns @「Policy Management Studies(総合政策学)」(慶應義塾大学SFC 2014年度秋学期), 2014年10月 ※Learning Patterns(英語版)を用いた対話ワークショップ

  • Takashi Iba, Experience Mining and Dialogues with Learning Patterns @「Environment and Information Studies(環境情報学)」(慶應義塾大学SFC 2014年度秋学期), 2014年10月 ※Learning Patterns(英語版)を用いた対話ワークショップ

  • Takashi Iba, Dialogue Workshop with Collaboration Pattern Cards @「Creative Systems Theory(創造システム理論)」(慶應義塾大学SFC 2014年度秋学期), 2014年10月 ※Collaboration Pattern Cards(英語版)を用いた対話ワークショップ

  • 井庭崇, コラボレーション・パターン・カードを用いたORFの振り返り @ 井庭研究室, 2014年11月 ※コラボレーション・パターン・カード(日本語版)を用いた振り返りワークショップ


    インタビュー取材

  • Interview with Joseph Bergin, NY, USA, Sep. 2014

  • Interview with Mary Lynn Manns, NC, USA, Sep. 2014

  • Interview with Christine Taylor Thompson, OR, USA, Sep. 2014

  • Interview with Donald Corner, OR, USA, Sep. 2014

  • Interview with Rossana Andrade, Brazil, Nov. 2014

  • Interview with Joseph Yoder, Brazil, Nov. 2014


    冊子

  • 井庭研 Future Language Project, 『Future Language: Concept & Case Book』, SFC Open Research Forum 2014 (ORF2014), 東京ミッドタウン, 2014年11月

  • 井庭研 Pattern Illustrating Project, 『A Tale of Pattern Illustrating』, SFC Open Research Forum 2014 (ORF2014), 東京ミッドタウン, 2014年11月

  • 井庭研 CoCooking Project, 『Creative CoCooking Patterns:みんなで楽しむ創造的な料理のパターン・ランゲージ』, SFC Open Research Forum 2014 (ORF2014), 東京ミッドタウン, 2014年11月


    社内講演・ワークショップ

  • B社, 2014年11月

  • F社, 2014年12月


    プレスリリース

  • 「慶應義塾大学 井庭崇研究室、認知症フレンドリー社会実現に向けて “認知症とともによりよく生きる”ためのパターン・ランゲージを制作」 【プレスリリース

  • “A pattern language for living well with Dementia is created by Iba Laboratory of Keio University, Japan, in effort for a Dementia-friendly society” 【プレスリリース
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