井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

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『決断力』(羽生善治)に羽生さんの創造性を見る

将棋棋士の羽生善治さんの『決断力』を読んだ。

非常に示唆に富んだ本で、大変興味深く読ませてもらった。
 
羽生さんがどういう人なのかがわかるとともに、将棋の世界がどういうものなのかも垣間見ることができた。そして、将棋を指すということについて、僕は何もわかっていなかったと思わざるを得なかった。将棋は無限の世界であるという羽生さんが、その世界にいかに向き合っているのか。その世界観が大変興味深い。また、コンピュータの登場が将棋の世界をどのように変えているのかについても面白かった。

しかしながら、より興味深いのは、将棋を通じて育まれた彼の考え方が、将棋の世界のみならず、多くの物事に通じる普遍性をもっているということだ。まさに、個を突き詰めたゆえの普遍性だ。彼は将棋とスポーツには共通点があると語り、またビジネスや研究にも通ずるものがあるという。僕は、この羽生さんが語る「エクスパティーズ」(熟練)の本質に、ただただ頷くばかりであった。

その普遍性を羽生さんも十分承知していて、それぞれの話題の後に必ず「将棋にかぎらず…」として、読者の携わる世界でも同様であることに言及している。このことが、本書が将棋好き以外の読者にも広く読まれてきた理由なのだろう。


「棋士は指し手に自分を表現する。音楽家が音を通じ、画家が線や色彩によって自己を表現するのと同じだ。小説家が文章を書くのにも似ている。二十枚の駒を自分の手足のように使い、自分のイメージする理想の将棋を創りあげていく。ただ、将棋は二人で指すものなので、相手との駆け引きのなかで自分を表現していく。その意味では、相手は敵であると同時に作品の共同制作者であり、自分の個性を引き出してくれる人ともいえる。」(p.67)


この部分で、将棋における「創造性」についてのイメージがぐっと広がった。

これまで、僕のなかには、将棋は有限の配置の組合せのなかでの勝負だというイメージがあったが、その見方は将棋の本質を矮小化した見方であるということがわかった。その有限性はたしかに「神」の視点からは正しいかもしれないが、人間は神の位置にいるわけではない。あくまでも広大に広がる展開の一節点に立っているにすぎない。

将棋が有限の局面の集合でしかないという見方は、まるで小説や詩が有限の文字の組合せに過ぎないと看做すようなものなのである。それでは、創造性という存在は無化されてしまう。もし小説や詩に創造性を見いだすならば、将棋にも創造性を見いだすことができるはずだ。僕はこの立場をとっているし、とりたいと思う。

羽生さんのこの本には、そういった将棋の創造性についての彼の考え方が書かれているように、僕には思えた。これは僕の過剰な読み込みかもしれない。しかし、僕にとっては、この本はその点において、大変示唆に富む本であったことは間違いない。

『決断力』(羽生善治, 角川oneテーマ21, 角川書店, 2005)
最近読んだ本・面白そうな本 | - | -

イベント告知 「創造と想像のメディア」(江渡 浩一郎 × 井庭 崇 対談)

来週の12月9日(木)の「パターンランゲージ」の授業では、江渡浩一郎さんをゲストにお呼びして、対談を行います。

江渡 浩一郎 × 井庭 崇 「創造と想像のメディア」
日時:2010年12月9日(木)4限(14:45~16:15)
会場:慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) 大学院棟 τ(タウ)11教室


江渡さんは、産業技術総合研究所で研究員をされているメディア・アーティストで、最近は『パターン、Wiki、XP ̶ 時を超えた創造の原則』という本の著者としても有名です。この本は、パターンランゲージの考案者であるクリストファー・アレグザンダーの思想の変遷と、そこから影響を受けたWikiシステムやソフトウェア開発手法のXP(エクストリーム・プログラミング)との関係を初めて明解に説明したという点で、この分野に大きな貢献をしました。

今回は、江渡さんのこれまでの作品を振り返りながら、いろいろお話を伺いたいと思います。僕からも、現在構想中の「創造システム理論」(Creative Systems Theory)を紹介し、それらを踏まえて、オープンなコラボレーションによる創造や、創造を支援するメディアの構築について、一緒に考えていきたいと思います。

授業の一環として行われますが、履修者以外の聴講も歓迎しますので、興味がある方はぜひお越し下さい。なお、当日の映像/資料は、後日、SFC-GC上で公開予定です。(とはいえ、映像ではなく、その場を共有するということは、ひと味違う体験となると思うので、ぜひ会場でお会いしましょう!)

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イベント・出版の告知と報告 | - | -

COINs2010 (Collaborative Innovation Networks) 学会報告 その4

The Second International Conference on Collaborative Innovation Networks (COINs2010) の3日目は、Paper Sessionということで、研究発表のプレゼンテーションが次々と行われた。

そのなかで、僕も発表してきました。今回は、昨年のCOINs2009で発表した「創造システム理論」(Creative Systems Theory) にもとづいて、創造プロセスを記述するための記法「創造システム・ダイアグラム」(Creative Systems Diagram) を提案。まだまだ出来たてほやほやなので、version 0.10。

そして、「カオスの足あと」の研究の最初の段階の創造プロセスを、実際にこの記法で記述してみた(当時の創造プロセスについて、いろいろメール・インタビューに答えてくれた、しーもとはかせに感謝)。この分析と記述、とても面白かったし、このダイアグラムが使えそうだという実感ももてた。

これまで「創造システム理論」は、単に理論しか存在しなかったので、どんなときにどう使えるのかさっぱりわからなかったが(聞いている人も僕自身も!)、これでようやく、何か使えそうだという気がしてきた。コーヒーブレイクのときに話した感じだと、オーディエンスの反応もなかなかよかったようだ。

このダイアグラムを考案するにあたり、モデル図をいくつかのビューに分けるところなどで、大学院生のときに学んだ UML (Unified Modeling Language) の知識が役に立った。こんなところでこんなふうに活きるとは思わなかった。結局、僕はモデリングの人なんだなぁ、と再認識。「創造」を理解し、それを支援するってことを、僕がやるとこうなるんだねぇ、と。面白い。


  • Takashi Iba, "Autopoietic Systems Diagram for Describing Creative Processes", The Second International Conference on Collaborative Innovation Networks (COINs2010), 2010

  • IbaPresentation.jpg
    COINs2010, GA, USA, 2010.

    Presentation Slides: "Autopoietic Systems Diagram for Describing Creative Processes" (1.8 MB)

    創造システム理論にもとづいて、創造プロセスを記述するための記法が、「創造システム・ダイアグラム」(Creative Systems Diagram: CSD)。
    COINs2010_Iba1.jpg

    創造システムの要素は《発見》(discovery)。《発見》は、《アイデア》(idea)、《関連づけ》(association)、《ファインディング》(finding)から成り立っている。創造システム・ダイアグラムでは、どのような《アイデア》がどのように《関連づけ》られ、どのような《ファインディング》があったのかを記述していく。
    COINs2010_Iba2.jpg

    創造システム理論の基本のビューは、《発見》の連鎖を描く「要素ビュー」(Elements View)。
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    多くの《発見》を束ねる「プロセス」の関係を記述するビューが、「プロセス・ビュー」(Processes View)。
    COINs2010_Iba4.jpg

    それぞれの《発見》がどのような環境要因によって成り立ったのかを記述するのが、「環境ビュー」(Environments View)。
    COINs2010_Iba5.jpg


    References
  • Takashi Iba, "An Autopoietic Systems Theory for Creativity," COINs2009: Collaborative Innovation Networks Conference, 2009
  • 井庭 崇, 「創造システム理論の構想」, 第14回進化経済学会大会, 2010
  • 井庭 崇, 「自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン ── パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?」, 『10+1 web site』, INAX Publishing, 2009
  • 井庭研だより | - | -

    創造システム理論の構想 #1

    これからしばらくの間、「創造システム理論」(Creative System Theory)の構想について書いていきたいと思う。連載する内容は、以下の論文等をベースとして、翻訳と大幅な加筆・修正を加えたものである。

    ● Iba, T. (2009). "An Autopoietic Systems Theory for Creativity", The 1st Conference on Collaborative Innovation Networks (COINs).
    ● Iba, T. (2009-) Blog "Creative Systems Lab".
    ● 井庭 崇, 「自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン ── パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?」, 『10+1 web site』, INAX Publishing.



    創造システム理論の構想

    本稿では、「創造性」(creativity)について、認知・心理学や社会的側面ではない新しい光の当て方で理解することを試みたい。ここで想定している「創造」とは、科学的探究、絵画・造形、文芸、音楽、建築、プロダクト・デザイン、演劇・パフォーマンス等、分野にかからわず、何かを生み出すこと(思考、行為、コミュニケーション)である。その創造の主体が一人であるのか、あるいは複数人であるのかは、ここでは二次的な問題に過ぎない。というのは、ここで考えたい問題は、「創造とはどのような事態なのか?」、「創造はいかにして可能となるのだろうか?」、そして「創造を支援することは、いかにして可能なのか?」ということだからである。

    本稿で提唱する創造の理論は、オートポイエーシスのシステム理論にもとづいている。オートポイエーシス(autopoiesis)とは、「自分自身を生成する」という意味の造語で、システムの構成要素をそのシステム自身がつく出しているという事態を指している。この新しいシステム概念は、当初、「生命とは何か」を理解するために考えられたものであるが、その後、「社会とは何か」を理解するために一般化され、適用された。本稿では、この概念を「創造とは何か」を理解するために用いてみたい。つまり、創造をオートポイエティック・システムとして捉えるということである。そのような創造のシステムを、生命システムや社会システムという命名に倣い、「創造システム」(creative systems)と名づけることにしたい。

    創造システム理論(Creative Systems Theory)の構想を簡単にまとめると、次のようになる。創造システムは、《発見》(discovery)を要素とするシステムである。ここでいう《発見》とは、創造過程のなかで幾度となく生じる“小さな発見”のことであるが、心理的な気づきの感覚や、社会的な新規性の評価とは、区別されたものとして定義される。ここでは、《発見》を、《アイデア》(idea)、《関連づけ》(association)、《帰結》(consequence)という三つの選択の総合によって生じる創発的な統一体(unity)と捉える。ここでいう「選択」とは、心理的もしくは社会的な意思決定のことではない、という点に注意が必要である。そうではなく、別様でもあり得る「偶有的」(contingent)な状況で、ある一つの《アイデア》が、あるやり方で《関連づけ》られ、それによってある《帰結》に至ったときに、それらが「選択」された、というわけである(このような使われ方は、進化論における「自然選択」の「選択」と同様)。

    ここで重要なのは、《発見》は、ある具体的な創造システムにおいてのみ《発見》となり得るのであり、その外部において単に「発見」であるということはできない。そして、ここに、創造システムを前提とする《発見》がその創造システムを構成している、という循環関係が見出される。この「鶏と卵の関係」に向き合うことが、「創造とは何か」を理解するために不可欠である、というのが、本稿での私の立場である。以上のことからわかるように、「システム」と言っても、ここで想定されているのは、入力によって処理・反応する機械のようなシステムではない、ということは強調してもし過ぎることはないだろう。

    創造はそれそのもので作動的に閉じたひとつの統一体であり、心的システムや社会システムはそれに同期・参加することで創造に関わる。意識やコミュニケーションは、創造的であるためには、この創造のオートポイエーシスをうまく転がしていく必要がある。創造には心理や社会が必要であるが、だからといって、創造を心理や社会に還元できるわけではない。創造の作動の循環性とその閉じは、心的システムの作動の循環性の閉じとは、別のものである。また、それは社会システムの作動の閉じとも別ものである。それゆえ、創造はそれ自体の作動の循環性と閉じによって成り立ち、そこに心的システムや社会システムがカップリングされることで創造活動が実現するということになる。このことが、心理学的還元や社会学的還元をせずに創造について考える、ということにほかならない。

    すでに述べたように、《発見》は、三つの選択が総合されなければならないため、本来生じにくいものである。そのため、《発見》が生成・連鎖し続けるためには、それを下支えする“何か”が必要となる。そのような支えのことを、《メディア》――― より厳密に言えば、《発見メディア》――― と呼ぶ。《発見メディア》にはいくつかの種類があるが、まず第一に、数学やパターン・ランゲージ等の言語や、概念・理論などが考えられる。これは、《アイデア》の選択と《関連づけ》の選択が生じやすくする。そして第二に、観察のためのツール(例えば顕微鏡)、シミュレーションやデータ分析のツール(例えばコンピュータ)、そして各種の表現ツールなどがこれにあたる。これは、《アイデア》の《関連づけ》によって《帰結》が得られることを支援する。さらに第三に、《発見》が現行の創造にとって意味・意義があると捉えやすくする象徴性、すなわち、「科学」や「芸術」というような色づけも《メディア》としてはたらく。このような三種類の《メディア》が、それぞれに《発見》の生成の不確実性を克服するために貢献する。かくして、創造そのものをデザインすることはできないが、《発見メディア》をデザインすることで創造を支援する可能性について議論できるようになるのである。
    「創造性」の探究 | - | -

    新しいブログ『Creative Systems Lab』

    創造性の研究において、自分の考えの枠組みが明確になってきたので、新しいブログを立ち上げることにしました。

    "Creative Systems Lab"
    http://creativesystemslab.blogspot.com/

    この新しいブログでは、最近僕が考えている「創造システム理論」(Creative Systems Theory)の内容を紹介したり、創造性に関する文献や議論を紹介したいと思います。

    CreativeSystemsLabBlog



    創造性以外の話題については、これまで通り、Concept Walkブログの方に随時書いていきます。英語版と日本語版はほとんど内容が違います。興味がある人は、両方フォローしてみてください。

    Concept Walk(英語版)
    http://conceptwalk.blogspot.com/

    Concept Walk (日本語版)※このブログです。
    http://web.sfc.keio.ac.jp/~iba/sb/
    「創造性」の探究 | - | -

    MITの現状と Idea Bank

    MITで行われたState of the Institute forumという会に参加してきた。教職員・関係者向けの集会だ。

    MITの学長が現状と見通しを説明し、その後、理事らとともに対談をする。前半は、MITの最近の学術や政策への貢献というポジティブな話がほとんどだったが、後半は、やはり今の最大の問題である、金融危機の影響を受けたレイオフについても触れられた。質疑応答もそれに関することが多かった。しかし、全体的な運営状況としては、今年始めに発表したほど悪くはないらしい。

    今のMITの学長は、Susan Hockfield。初めて話しているところを見たが、非常に頭が切れそうな感じの女性だった。テクノロジー系の大学のヘッドが女性というのは、象徴的な意味でもよいなぁと思った。

    StatePhoto1 StatePhoto2

    ところで、学長のまとめのスピーチで、"collective intelligence"という言葉が2回出てきた。みんなで知恵を合わせて取り組んでいこう、ということなんだけど、こういうふうに使えるんだ、と勉強になった。

    それで、実際にどう進めるかというと、The Institute-wide Planning Task Forceというところが、MIT Idea Bankというのを開いている。日本で言う目安箱的なものであるが、意見・不満ではなく改善のアイデアを募集するという点でポジティブな仕組みだ。現在、200個近いアイデアが集まっているという。

    IdeaBank



    このIdea Bank話で、いまから10年くらい前に書いた「ボイスアブソーバー」の論文のことを思い出した。第四回読売論壇新人賞佳作(読売新聞社, 1998)をいただいた論文だ。

    「自己変革能力のある社会システムへの道標:複雑系と無気力の心理学の視点から」(井庭 崇)

    これを書いた当時は修士2年生で、『複雑系入門』の執筆時に考えていた政策的なアイデアを、本の出版直後に一気に書いたという論文だ。これを読み返すと、そのときからCollective Intelligence的な興味があったのだと気づく。当時は実現のメカニズムについての具体的なイメージはできていなかったら、あれから10年たち、情報インフラも情報技術も進化し、ようやく具体的な仕組みの実現や実験ができる時代になってきたということか。

    詳しくは論文の方を読んでみてほしいけれど、どんな感じの話なのか、少しだけイントロダクションから引用。

    本論で私は、複雑系と無気力の心理学の視点から、日本社会に自己変革能力を組み込むために以下の具体的な提言を行なう。

     (1)自律的なサブシステムへの分権化
     (2)ボイス・アブソーバーの設立、およびポリシー・インキュベーターの役割強化
     (3)効力感を育成する教育への改革
     (4)人々の心理コストを考慮したシステム設計の奨励


    「創造的社会へ」ということを、もう10年も言っているのだ、ということに気づかされた。「10年ルール」でいうと、そろそろ煮詰まった成果が出ていい頃だ。引き続き、がんばります。
    ボストン | - | -

    『10+1 web site』に論文を書きました

    建築系のオンライン雑誌『10+1 web site』に論文を書きました。

    「自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン──パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?」(井庭 崇)


    TenPlusOne2009Sep.jpg



    今回の論文は、僕らのつくった「学習パターン」(Learning Patterns)の話から、教育と建築における問題の共通性について、そして自生的秩序の形成についての話から始まります。そのうえで、自生的秩序の形成を支援するメディアとして、パターン・ランゲージを取り上げ、それがどのように秩序形成に寄与するのかを考察していきます。

    社会と思考の自生的秩序については、ニクラス・ルーマンの社会システム理論にもとづいて考察します。そして、創造における自生的秩序については、現在僕が構想中の「創造システム理論」(Creative Systems Theory)にもとづいて考えます。自分が今構想している最中の理論によって考察するということで、とても大胆かつチャレンジングな試みです(笑)。

    創造システム理論というのは、創造のプロセスをオートポイエーシスの概念で捉えるというものです。つまり、創造は、心理的ななにかではなく、ひとつのオートポイエティックなシステムだ、と捉えるわけです。ルーマンが、「社会」を主体から離して定義したように、僕は「創造」を主体から離して定義します。心理学や認知科学の観点からの研究が多い「創造性」(クリエイティビティ)研究のなかではかなりラディカルな理論だと言えるでしょう。分量の制限や文脈の制約で、まだ理論の一部しか示せていませんが、創造システム理論について書くのは初めてなので、この部分はひとつの目玉です。

    もう一つの目玉としては、オートポイエーシスの概念について、わかりやすい図を交えて説明しているという点です。図も説明の仕方も、自分なりに今回新たにつくり出したものです。

    このように、今回の論文は、全体的にオリジナリティの高い内容になっていると思います。みなさん、ぜひ読んでみてください(感想などお待ちしています)。


    今回の特集テーマは「きたるべき秩序とはなにか──システム、パターン、アルゴリズム」ということで、ほかには、濱野智史さんと柄沢祐輔さんが書いています。濱野さんの論文は、彼がこれまで論じてきた内容とうまく絡んでいてなかなか面白い。柄沢さんの論文は、彼が最近アルゴリズム建築としてつくった住宅の話が紹介されています。可能性としての手法の提案ではなく、実際に建築物をつくっているところがすごい。

    たまたまなのか、編集者の方の意図なのかはわかりませんが、3人とも慶應義塾大学SFCの出身です。それぞれ異なる方向性に進みながら、このような場でまた交わることができるというのは、うれしいことです。


    『10+1 web site』(http://tenplusone.inax.co.jp/)
    2009年9月号
    特集:きたるべき秩序とはなにか──システム、パターン、アルゴリズム

  • 「自己組織化は設計可能か──スティグマジーの可能性」
    (濱野智史  株式会社日本技芸リサーチャー/情報環境研究者)

  • 「自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン──パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?」
    (井庭崇 慶應義塾大学総合政策学部/MIT)

  • 「アルゴリズム的思考と新しい空間の表象」
    (柄沢祐輔 建築家)
  • イベント・出版の告知と報告 | - | -

    地域行政にもっと創造性(クリエイティビティ)を!

    Chigasaki1.jpg夕方から、茅ヶ崎市の産業振興課と農政課の方を対象に、発想支援ワークショップを行ってきた。みなさん、通常の仕事が終わってからの参加だったが、楽しみながら一生懸命取り組んでいただいた。おつかれさまです!

    今回はまずイントロダクションとして、「コミュニケーションの連鎖」の観点から地域の活性化を考えるという視点と、地域活性における創造性(クリエイティビティ)の重要性についてお話しした。その上で、ブレインストーミング(略して「ブレスト」)の演習を行った。今回は、練習用のテーマで行ったが、最終的には未来像やヴィジョンを設定するために行う予定だ。目の前の問題・課題を処理していく通常の業務とは異なる頭の使い方をする演習になったと思う。

    Collaboration.jpgブレストのコツは、まず第一に「とにかくたくさん出す」ことだ。質より量を目指す。「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」ではないが、アイデアもたくさんだせば、そのなかに優れたアイデアの原石が混じっているものだ。それを後で拾い上げ、磨いていくことになる。ブレストの段階では、そのアイデアが良いか悪いかの判断はしないのが鉄則だ。

    ブレストの第二のコツは、「ポジティブの連鎖」ということ。他の人のアイデアを否定したり批判したりするのではなく、「いいねぇ」というポジティブな感じで反応するのがよい。たとえ実際にはあまりよいアイデアではなかったとしても、できるかぎり良い面を拾いあげる。このことは、たくさんのアイデアを出す上でとても大切なことなのだ。言ったアイデアがすぐに否定されたり批判されたりしたら、その人はもうそれ以上アイデアを出そうとは思わないだろう。そうではなく、お互いに「乗せ」合うことが重要となる。お互いに他の人の良いところを引き出し合いながら「ポジティブ」な流れができるようにするのだ。

    第三のコツは、「増幅効果」だ。これは、他の人が言ったアイデアに対して「それなら・・・も」というように、アイデアを増幅させて連鎖させていく、ということだ。この増幅効果があるからこそ、複数人でブレストを行う意味がある。もし、一人一人が考えてきたアイデアを寄せ集めるだけでよいのであれば、ブレストをやる意味はない。グループレベルの非線形性が生まれ、創発が起こるためには、この増幅効果が不可欠だ。

    Chigasaki4.jpgChigasaki2.jpg僕が、ブレストの場をファシリテートするときに必ず用いるツールは、大きな付箋(ポストイット)、太い黒ペン、ノリがいい音楽の3点だ。付箋は、正方形の大きいタイプのものを使う。細長いのでは、書けるスペースが小さいし、存在感が薄いのでだめ。正方形の大きな付箋であれば、描こうと思えば絵も描ける。

    太い黒ペンは、ぺんてるの水性サインペン(S520-AD)が一番よく、そうでなければ、ゼブラのハイマッキー(の細い方を使う)か、マッキー極細(の太い方を使う)。でも、長時間書き続けることを考えると、水性の方が匂いが少なくてよいと思う。ある程度の太さがあると、テーブルを挟んだ遠い参加者にも読めるようになるし、書いたものに自信が出てよい。

    音楽は、その「場」に勢いをつけるために不可欠だ。ノリの良い曲を選曲する。聴き流せるように洋楽の方がよい。そして、少し大きめにかける。これにもちゃんと理由がある。ブレストには勢いが必要だ。しかし、静かな空間では、人は比較的小さな声になってしまい、徐々にアイデア出しの連鎖も萎んでいってしまう。逆に、人は騒がしいところでは、相手に聴こえるようにと少し大きな声になる(騒がしい飲み屋を出た後に声が嗄れていた、なんてことを思い出してもらえればいい)。そういったしっかりとした発声は、自信にもつながる。もちろん、音楽がなっているので、周囲の人(他のグループやファシリテーター)のことを気にせず、くだらないアイデアも話してみることができる、というメリットもある。

    そんなわけで、僕のこだわりとしては、ブレストには、大きな付箋、太い黒ペン、ノリがいい音楽の3点セットを必ず用意するのだ。

    Chigasaki0.jpgさて、最終的に、たくさん出したアイデアのどこに着目するかというと、まずは、「普通に考えると意味がわからないアイデア」や、「実現方法が想像できないようなアイデア」だ。なぜそこに着目するかというと、それらは現実から演繹したアイデアではないからだ。その意味で、ブレストで出てきたアイデアとして価値がある。そして、それを一度眺めた上で、「それらよりは少しは現実味のある魅力的なアイデア」を探していく。さっきの意味や実現方法が想像できないものよりは理解しやすいが、現実には存在しないもの。このように、現実から遠いところから現実の方へと戻ってくる。

    なぜこのようなアプローチをとるかというと、未来像やヴィジョンは、まさにこの方向で考えていくべきだからだ。未来像やヴィジョンを設定するときには、現状から演繹してはだめだ。現実を無視してよいわけではないが、最初から現状を踏まえて発想してしまうと、発想の飛躍が起きず、「想像の圏内」にあるそれなりの案しか出せない。未来像やヴィジョンは、発想を思いっきり飛躍させ、理想的なイメージを思い浮かべてから、現状にグラウンディングしてこなければならない。決して現状から演繹するのではないのだ。

    Chigasaki3.jpgこのようにして、未来像やヴィジョンが見えてきた後に、今度は現在地点からそこにどうやって行くかを考える。いうならば、カーナビ方式と言うことができる。カーナビでは、目的地を設定してから、現在からの行き方を考える(カーナビがルート計算してくれる)。これと同じように、将来に達成したい未来像やヴィジョンを思い描き、そこに向かってどう進んでいけばよいかを考えるのだ。目的地が決まっているから、途中のルートが多少ずれても、最終的な到着にはさほど影響はない。また、他のメンバー(の車)も、それぞれにその目的地に向かうことができる。

    問題発見・解決のアプローチではなく、想像力を飛躍させることが重要だということについて、ずいぶん以前に(博士時代に)書いたものがある。今回のワークショップでも資料として配った。興味がある人は、こちらも見てみてほしい。僕自身、久しぶりに読んでみて、昔から軸はブレていないなと思った。

    ● 井庭崇, 「思考のおもちゃ箱(1): 未来をデザインする」, 季刊 未来経営, 春季号, フジタ未来経営研究所 発行, 大学出版センター, 2001


    というわけで、今回は地域政策や地域活性のワークショップとしてはかなり異色の(しかし本質的な)ワークショップになったと思う。今後もこのトーンで展開していきたい。


    「地域行政にもっと創造性を。」

    これが今回の僕らの究極のミッションだ。
    「創造性」の探究 | - | -

    『音楽を「考える」』(茂木・江村)

    Book-MogiEmura.jpg このブログは、いくつか記事が書かれたかと思うとしばらく更新されなくなって、またバババッと書かれては間があいて・・・ということを繰り返しているが、再開する理由はだいたいいつも同じだ。それは、僕が面白い本に出会ってしまったときだ。みんなに紹介せずにはいられなくなって、再び書き始める。そんなわけで、今回も紹介したい本が出てきた。最近出た茂木さんの対談本だ。

    『音楽を「考える」』 (茂木健一郎, 江村哲二, ちくまプリマー新書, 筑摩書房, 2007)

    この本は、江村哲二さんというクラシックの作曲家と、茂木さんの対談の本だ。茂木さんもさることながら、江村さんの話が非常におもしろい。

    「なぜ音楽が頭の中で響き渡るのか、そもそも空気の振動としての音ではない、脳内にあるいわば仮想としての響きを聴いているということは一体どういうことなのか。」(p.10)

    江村さんがそんなことを考えているときに、茂木さんの『脳とクオリア』を読んで、まさに同じことを考えている科学者がいる!と興奮したそうだ。そして今回、10年越しで実現したというのが、この本の対談だ。江村さんは、音大ではなく、工学部出身というユニークな作曲家。「サイエンスは大学で、音楽は独学で、両方やっていました」(p.15)という。そのような経歴の持ち主であるからか、作曲行為や音楽について語る際に、内と外の両方の視点を併せ持っている感じがして、とても興味深い。そして、茂木さんもそれをうまく引き出している。最近イチオシの一冊なので、ぜひ読んでみてほしい。

    この対談では、創造性、作曲、クラシック音楽、科学、教育など、さまざまな話題が取り上げられているが、ここで紹介したいのは、「創造」の本質についての話だ。この本では全体を通じて、創造とは、自分の内なるものを「聴く」ということ、そして「傷つき」ながら生み出すということだ、と語られている。

    江村 「自分の体内から出てくる何らかの響き、新しい響きを聴きだすことが、作曲という営みではないか。じっと耳を澄まして自分の内なる音を聴くということ。それが自分の音楽であり、それを楽譜にするというプロセスこそが作曲ではないか、と思い至りました。」(p.81)

    江村 「『きく」も、『聞く」ではなく『聴く』、つまり hear ではなく listen です。つまり音に対して自発的に向かっていかなければ聴こえない。自分が音に向かうことで、そこに『聴く』という創造が生まれてくる。」(p.44)

    茂木 「現代には『聴く』が欠けている。僕の経験からしても、何か新しいことを思いつくときは、たしかに耳を澄ませています。内面から聴き取ったことが、僕の場合は、ある概念や考えという形になって外に出ていくんだけれども、江村さんはそれを音楽で表すわけです。『聴く』ということは、自分の内面にあるいまだ形になっていないものを表現しようとすることだと思うんです。」(p.33)

    しかし、このような自分の内なるものを「聴く」ということは、容易なことではない。なぜなら、それは日常生活で保たれているバランスをあえて失わせ、自分の心を切り裂いて、その奥へダイブしていくような行為だからである。それはある意味、危険な行為でもある。

    江村 「作曲ということの一つには、自分の心の奥底にある、ある意味では決して開いてはいけない部分に、何かを探って切り裂いていく、そういう過程があるんです。」(p.20)

    江村 「見たいんだけれども見てしまったらだめで、全てが終わってしまうようなこと。ここでぎりぎりに止めておくのか、それともあっちの世界に行っちゃうのか、その境界線のところが創作という行為の本質だと思います。自分の胸を切り裂いていくことに近いものがあります。それを茂木さんは『自分が傷ついていくこと』と表現しています。自分が傷つくことをやっていながら、『傷ついている』ことそのものを表現してしまったらおもしろくともなんともない。その『傷ついていく』プロセスが何か新しいものを生み出すわけです。いわばぎりぎりの境界線上に位置しながら生み出し続ける。」(p.21)

    僕も、自分の創作活動の経験から、同じようなことを感じていた(プロとしてはでなく趣味的な創作ではあるものの)。作詞をするとき、小説を書くとき、絵本を描くとき・・・そういう創作に取り組んでいるときは、ギリギリのところまで自分を追い詰めていく。表面的な思考では、つくるものも表面的になってしまう。そうではなく、表現したいものの奥の方まで降りていかなければならない。しかし、日常生活の自分を保ったまま、そのレベルに降りていくことはできない。そこで心のなかであえてアンバランスな体勢をとって、日常の自分から抜け出すことが必要となる。

    この感覚は、なんとも表現するのが難しいのだけれど、歌詞の話でいうとわかりやすいかもしれない。本当は失恋していないのに、失恋した主人公の歌を書くことは容易くない。そのためには、まるで自分が失恋したかのような感情へと、自分を追い詰めていく必要がある。その状況に立ってみて初めて、リアルな歌が生まれる。もちろん、歌詞を書くには、そこで感傷的になるだけでなく、表現者としての自分を発揮しなければならない。それがきわめて、きわどい精神状態を強いることは想像に難くないだろう。しかし、そういう状況に自分をさらすことが、ものをつくる、ということなのだと思う。それがわかっているからこそ、なかなかすぐには創作モードに入ることができない、というのが最近の僕の実感だ。

    その意味では、僕にとって、本を書くということは作品をつくることにほかならないので、この創作モードに入ることが必要となる。本気で本を書くというのは、短い論文をたくさん書くのとは全く異なる行為なのだ。そう考えると、逆に、論文を書くというのは、作品をつくるというよりは「手紙」を書くのに近いといえる。同時代の研究者への手紙。きちんと伝えたいことを書いて、しかも少しだけ魅力的でありたいと思う。しかし、本は「作品」なのだ。だからこそ、本を書くのが楽しくもあり、つらくもある。そのモードにどっぷり入れないとなかなか筆が進まないのは、そういうことがあるのだと思う。言い訳ではなく (たぶん)。

    茂木 「表現者として何が必要な条件かと考えたときに、色々あると思うんだけど、生命体としての強さというのは間違いなくあると思う。切り刻むことで、自分の中から何かを表出する。それができる人は本当に強い人なんですよ。・・・もちろん、強いと言っても、図々しいとか傲慢だとかそういう意味ではなくて、ある程度自分の中のもろさとか弱さというものをきちんとさらけ出せるんだけれども、塀の外側には落ちないというか、安定を保つというか。」(p.53)

    茂木 「大変な嵐の中にさらされて、脳内に大変な運動が起こっているという状況のなかで、その軌跡として出てくるものが創造性だとすると、それを得るために必要なものは何かがわかります。まず一つは、嵐の中に身をさらす自分の勇気。もう一つは強靭な自我。この両方がそろったときに、創造性というものが生まれるのではないか」(p.175)

    この点についても、まさにそのとおりだと思う。「自分を保つ」ということは、「自分がつくる」ということを実現するためには、とても重要なことだ。失恋の悲しさに負けてしまって、表現できなければ意味がない。そのきわどく過酷な精神状況でも、なお前に進み続ける力がなければならない。創造のアスリート的側面だ。

    しかし、日常の社会生活を行いながら、そのようなバランスを欠くような聴く行為をするということは、とても難しい。そう考えると、その難しさを理解したうえで、それを実行できるのが「プロ」というものなのだろう。本当のプロは、社会生活と創作上のアンバランスな状況を両立させるために、環境や時間のつくり方をきちんと心得ている。

    今月は僕もその点にこだわって、本を書き進めたいと思う。(ということで、多少バランスを欠いているときがあるかもしれないけど、あしからず。笑)
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    コラボレーションの原理(コラボレーション技法ワークショップ第2回)

    今日は、僕の担当する授業「コラボレーション技法ワークショップ」の第2回目であった。今日のテーマは、コラボレーションの原理についてである。

    CollaborationImage200.jpg最初の問いは、「コラボレーション」とは何だろうか?ということだ。僕なりの説明をすると、コラボレーションとは、複数の人々が、ひとりでは決して到達できないような付加価値を生み出す協同作業(協働作業)のことだ。有効なコラボレーションが行われている組織やグループでは、単なるコミュニケーションや分担ではなく、発見や創造の「勢い」がメンバーの間で共鳴し、増幅する。その結果、飛躍的なアイデアやイノベーションを生み出すことができ、メンバーの満足感も高まることになる。

    コラボレーションは、「分業」とは異なる。分業というのは、タスクを分けてそれぞれががんばり、調整・集約するものである。その結果、1+1+1が3になる。そうではなく、コラボレーションでは、コミュニケーションの連鎖が起き、相乗効果があり、1+1+1が、10とか100になってしまうようなことをいう。グループワークというのは、分業的にもなり得るし、コラボ的にもなり得る。

    それでは、どうしたらグループワークにおいてコラボレーションを行うことができるのだろうか。言い換えると、どうしたら複数人で新しい付加価値を創造することができるのだろうか。この点を考えるために、「創造する」ということについて、一歩踏み込んで考えてみることにしたい。

    ふつう私たちは、何かを「創造する」(つくる)というとき、「思考」や「行為」による創造について考えるのが一般的だ。この考え方は、個人による創造を考える場合には十分であるが、複数人で行うコラボレーションについて考える場合には、すぐさま困難に行き当たる。もし創造性が、個人の思考や行為にのみ宿るのであれば、コラボレーションの結果というものは、個々人の思考・行為の結果を足し合わせたものに過ぎなくなる。そのような捉え方では、コラボレーションの本質である相互作用のダイナミズムが抜け落ちてしまう。もしコラボレーションが、目標を分割して各人に振り分ける「分業」とは異なるものであるならば、「思考・行為を寄せ集めた集合」ではない捉え方が必要になる。

    WhatIsCreation100.jpgそこで、「創造」というものを「創造的思考」、「創造的行為」、「創造的コミュニケーション」の3つに分けて考えてみることにしたい ※。そのうえで、「コラボレーションによる創造」では、創造的思考、創造的行為だけでなく、創造的コミュニケーションが不可欠である、ということを主張したい。

    まず、創造的思考とは、心的システムにおける意識の連鎖によって、創造が行われることを意味している。例えば、いろいろなイメージを思い描いたり、アイデアを考えたりすることである。創造的行為とは、行為として創造が行われるということである。例えば、絵を描いたり彫刻を掘ったり、文章を書き記したりするのが、これにあたる。これら創造的思考と創造的行為は、基本的には、ひとりで行う個人レベルの話である。これに対し、創造的コミュニケーションとは、コミュニケーションを行うことで創造が行われるということである。例えば、複数の人で、アイデアや企画、デザインを議論・検討しながら練り上げていくということが、これにあたる。

    以上のように「創造」を分類すると、「コラボレーション」と「分業」の違いは、創造的思考や創造的行為の存在の有無ではなく、創造的コミュニケーションの連鎖があるかないか、という違いだということがわかる。コラボレーションでは、創造的コミュニケーションが連鎖しなければならない。そのための工夫が、コラボレーション技法の本質なのだ。


    ※ 創造的思考/創造的行為/創造的コミュニケーションという分類については、以下の論文が初出。「コミュニケーションの連鎖による創造とパターン・ランゲージ」(井庭 崇, 社会・経済システム, Vol.28, 社会・経済システム学会, 2007年)。
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