井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

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発想言語(アブダクション・ランゲージ)の基本形式

以前このブログで、"「創造の知」の言語化 − なぜ僕はパターン・ランゲージをつくるのか?"というエントリで、「創造言語」(Creative Language)という概念を提唱し、それに関連する概念を整理した。

そのなかで、僕は、「創造言語」が創造を支援する言語であるということと、創造言語のひとつの形式が「パターン・ランゲージ」であるということを書いた。創造には、デザイン(問題発見・解決)的なものもあれば、そうではなく直感や経験にもとづく場合もある。そのなかで、デザインについてまとめたものがパターン・ランゲージなのだと考えた。

それでは、パターン・ランゲージではない創造言語には、どのようなものが考えられるのだろうか。今回は、そのひとつの案として、「発想言語」(アブダクション・ランゲージ)(とここで仮に呼ぶもの)について考えてみたい。

発想言語は、発想の型を記述した言語である。

パターン・ランゲージでは、context、problem、solutionという3つの要素で書いたのに対して、発想言語では、Context、Solution、Consequence の3つの要素が大切に思える。ただし、真ん中だけ「S」始まりなので、これを「C」に変えたくなり、Cで始まる「Clue」(手がかり、糸口、ヒント)という言葉で置き換えることにしよう。まとめると、こうなる。

発想言語(アブダクション・ランゲージ)の基本形式
Concext、Clue、Consequence


つまり、発想言語には、ある「状況」において、どういう「方法」でやると、どういう望ましい「結果」が得られる(と期待できる)のか、ということが書かれる。


このような形式がよいと考えたのには、これまでの僕らのパターン・ランゲージ制作の経験が関係している。

発想の仕方というのは、パターン・ランゲージの形式(context、problem、solution)では書きにくいのだ。というのは、発想の仕方で「こうするとよい」というのは、何かの問題を解決しているのではなく、ただそうするといいことがある、という経験則に過ぎないからである。そのため、発想の仕方について、無理矢理にパターン・ランゲージ形式でProblemを書こうとすると、とても嘘っぽいパターンになってしまう。そのような経験を何度もして、Probemを中心とするようなデザイン(問題発見・解決)の形式ではない記述形式の必要性を感じていた。

そこで、今回その代替案として、上記のような形式を考えてみたというわけだ。

なお、基本形式が変わることで、それら主要要素にぶら下がっている付加要素も、再編成されることになるだろう。例えば、パターン・ランゲージではProblemに付随していたForces(問題を生じさせている力)は、発想言語では、Consequenceにつけることにしたい。「Clueに従うとConsequenceを生む」ということを可能とする諸力を明らかにするのが、ConsequenceにおけるForcesだ。

このような「発想言語」というものも、パターン・ランゲージ同様、どんどん書いていきたい。
発想言語 | - | -

創造社会における「参加」(内と外の融解)について考える

創造社会」(Creative Society)とはいかなる社会かを考え、その姿を描いてくために、このブログではいろいろな観点から、創造社会や創造性について考えていくことにしたい。

今回は、モリス・バーマンの「参加」(participation)の概念を手がかりに考えてみたい。バーマンは『デカルトからベイトソンへ:世界の再魔術化』のなかで、近代の科学的意識とは別の意識として「参加する意識」(participation consciousness)について述べている。

バーマンによると、「参加する意識」とは、「自分を包む環境世界と融合し同一化しようとする意識」(p.14)のことである。これに対して、科学的意識は、「自己を世界から疎外する意識」(p.14)であり、「自然への参入ではなく、自然との分離に向かう意識」(p.15)であるという。

バーマンのいう「参加」(participation)とは、「自己の『内側』と『外側』が体験の瞬間において一体化すること」(p.79)である。それは「内と外、主体と客体、自己と他者とが、境界を貫いて結ばれること」である。そして、そういうときは、「『私』が、『経験をする主体』なのではなく、経験そのものになる。」(p.79) という。
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このようなことは、私たちの日常でも起きていると、バーマンは言う。「現代人にとっても参加する意識は、ごく日常的に現れているのだ。… 私にしても、たったいま、そのことを意識するまでは、タイプのキーを叩くことに没入していた。この文章を書いている「私」というものをまるで感じていなかった。」(p.79)

この感覚は僕もとてもよくわかる。何かをつくっているとき、つまり創造においては、うまくいくとこういう状態になる。このことを、創造の観点からすると、創造に関与しているのは、人も世界もである。つまり、創造に取り組んでいて、それについて考えようとすると、社会的なレベルでの主体と客体というのは消えさり、一体化するということだ。

このように、バーマンのいう「参加」とは、人が何かにコミットする・行為するという意味ではない。そうではなく、自分と世界の境界があやふやになり、その区別がなくなる(区別が重要でなくなる、その区別が本質的ではなくなる)ことを意味している。参加とは、内と外の境界の融解のことなのである。


自分の経験を思い出して、イメージしてみてほしい。何かをつくることに没頭しているときのことを。真剣に何かをつくっているときのことを。そうやって没頭して何かをつくっているときは、いまつくっているものがカタチづくられ、成長していくことが、中心的な出来事となる。そのとき、その創造で起きていることこそが、主要な出来事になり、それ以外のことは周辺的な事柄になる。

このとき、つくり手である「自分」と、自分がいる「世界」の境界・区別は、二次的な問題になる。創造にのめり込むほど、自分と世界の境界・区別は意識されなくなる。違う言い方をすれば、自分と世界はコラボレーションしているのであり、創造の企ての共謀者となる。あるいは、こう言ってもいい。いまつくっているものが成長していくのは、「自分」を含む「世界」が作用しているからだ、と。

いま書いてきたことを、僕の「創造システム理論」(Creative Systems Theory)的に言うならば、創造における発見の連鎖(のオートポイエーシス)が活発なとき、それ以外はすべて環境側に位置するものになるということだ。発見という水準においての区別が重要なのであり、主体と世界という区別は意味を失うことになる。

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いまのことを僕の例でひとつ。3年前に、カオスの状態遷移ネットワークのなかにスケールフリーネットワークが潜んでいることを発見したときのこと(論文1論文2、)。

3年前のある日、カオスの状態遷移を試しに描いてみたら、なかなか複雑なネットワークであることがわかった。こういうときは、可視化だけでなく、指標でみようということで調べてみたら、次数がべき乗分布に従っていて、スケールフリーネットワークだった。

これはすごい!と思い、条件を変えて調べてみたら、どの値でもスケールフリーであることがわかった。それならば、カオスの他の関数(写像)ではどうか?と調べてみたら、他の関数でもスケールフリーのものがみつかった。

この経験を振り返ると、発見の連鎖こそが中心的な出来事であったと感じる。状態遷移ネットワークは、僕が見出す前から、その関数に潜んでいたといえる。しかし、ある関数を状態遷移ネットワークでみるという必然性はないから、僕が新しく生み出したと言えないこともない。

このように、数学者や科学者は、世界に潜む法則性を発見(discover)している(数学者の探求における創造性については、William Byersの『How Mathematicians Think: Using Ambiguity, Contradiction, and Paradox to Create Mathematics』が詳しい)。discoverとは、覆い(cover)をとる(dis)ということである。ある面では、世界に潜んでいたものであり、別の側面では、人間がつくりだしたものでもある。

このことは、芸術家にも言えるだろう。例えば、彫刻家が、素材と“対話”しながらつくっていく、というねがわかりやすいだろう。頭のなかにあったものを外化するというのではなく、世界とコラボレーションしながら、ものがつくられている。


これまで、創造に打ち込むときにある「参加」について書いてきた。しかし、これ以外にも「参加」が生じることがあると思う。バーマンのいう「参加」は、「自己の『内側』と『外側』が体験の瞬間において一体化すること」であり、それは「内と外、主体と客体、自己と他者とが、境界を貫いて結ばれること」であった。このような「参加」は、何も創造のときだけでなく、もっと静的な生じ方もあるように思う。

例えば、座禅や瞑想など、静を追求することで、「参加」に至ることもあるように思われる。つまり、何も行為しなくても、「参加」は可能だということである。これはあくまでも推測にすぎないが、スティーブ・ジョブズをはじめとして、禅(Zen)にはまった多くのクリエイターたちは、この「参加」の感覚を求めていたのかもしれない(あくまでも、推測に過ぎないが)。

宗教的体験でも「参加」は生じると思われる。神という存在の前では、その差異こそが重要であり、自分と世界の差異はとるにたらないものとなる。このことを単に頭で考えるのではなく、「感じる」のだろう。しかしながら、バーマンは、近代社会は魔術から醒めたのであり、神という存在に頼るのではない「参加」を考える。それを「再魔術化」(reenchantment)と呼んだ。基本的には、僕もこの方向で考えている。


以上を踏まえ、創造社会においては、創造に没頭することによる「参加」が頻繁に起きることになること、そしてそれに伴って、静的な「参加」についても見直されるということ、それが僕の現段階での予想である。
創造社会論 | - | -

アントレプレナー寄付講座「起業と経営」の実況・感想ツイートのまとめ

2012年度春学期に開講されている授業「起業と経営」(担当:竹中平蔵, 井庭崇)では、SFCを卒業した後さまざまな分野で起業され、活躍されている方々をゲストスピーカーとしてお呼びし、講演をしていただきました。

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この授業の講演の特徴は、授業時間の半分以上を質疑応答にあてるということです。ゲストスピーカーの方には、どのようなことをやってきたのかということを30分強お話ししていただき、残りの多くの時間を、質問とその応答の時間にしました(初回の佐野さんは、なんと、講演無しですべて質疑応答でした)。

このスタイルで行ってよかったのは、活動の背景にある考え方や、当時の悩み、大学時代のことと現在のつながりなど、ふだんの講演ではあまり聞くことができないお話を聞くことができたことです。

あともうひとつ、この授業の特徴をあげるとすると、それは、履修者(参加者)がツイッターで実況や感想を流していることです。自然発生的にできたこの授業用のハッシュタグ「#起業と経営」は、毎週金曜日の夕方(授業がある時間)になるとtwitterトレンドにランクインするというほど、たくさんのツイートがありました。

それらのツイートを、ボランタリーに毎回 togetterでまとめてくれたのが、この春入学した1年生だというのも、実にSFCらしい感じがします。まとめてくれた土肥さん( @RIEKO_D )、ありがとう!(最初のまとめは、SFC入学して最初の授業日でしたね。)


以下が、その実況・感想ツイートのまとめの一覧です。

● 佐野 陽光さん(クックパッド株式会社 代表執行役社長兼取締役, SFC 1997年卒)
http://togetter.com/li/284239

● 竹中 平蔵(グローバルセキュリティ研究所所長、総合政策学部教授) × 井庭 崇(総合政策学部准教授, SFC 1997年卒)講義
http://togetter.com/li/287478

● 小林 正忠さん(楽天株式会社 取締役 常務執行役員, SFC 1994年卒)
http://togetter.com/li/290672

● 山口 絵理子さん(株式会社マザーハウス 代表取締役社長 兼デザイナー, SFC 2004年卒)+山崎 大祐さん(株式会社マザーハウス 取締役副社長, SFC 2003年卒)
http://togetter.com/li/294215

● 宮治 勇輔さん(株式会社みやじ豚 代表取締役社長、NPO法人 農家のこせがれネットワーク 代表理事CEO, SFC 2001年卒)
http://togetter.com/li/301740

● 青柳 直樹さん(グリー株式会社 取締役執行役員CFO 国際事業本部長, SFC 2002年卒)
http://togetter.com/li/305653

● 駒崎 弘樹さん(NPO法人フローレンス 代表理事, SFC 2003年卒)
http://togetter.com/li/309667

● 今村 久美さん(NPO法人 カタリバ 代表理事, SFC 2002年卒)
http://togetter.com/li/313378

● 佐藤 輝英さん(株式会社ネットプライスドットコム 代表取締役社長兼グループCEO, SFC 1997年卒)
http://togetter.com/li/317428

※以上、所属・肩書きは講演当時のもの。


授業はまだ続きますが、ゲスト講演のシリーズは終わったので、ここで一度まとめておきます。
授業関連 | - | -

NHK Eテレ「スーパープレゼンテーション」の収録に行ってきました!

今日は、NHK Eテレ「スーパープレゼンテーション」の収録に行ってきました。

今回の収録からスタイルが変わり、Kyleeと僕との会話形式ではなく、それぞれが解説をすることになりました。

Kyleeは英語の表現について振り返り、僕は「アイデアの伝え方」について解説します。


以下では、「スーパープレゼンテーション」の撮影現場がどんな感じなのか、写真を交えて紹介しましょう。

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これが今回の撮影現場。木がたくさん用いられている、いい感じの空間でした。

僕は、まずは自分の台本のチェック。事前に打ち合わせていた内容を文字に起こしてまとめていただいたものをベースに、現場でもさらに修正を加えていきます。尺の長さや映像の挿入などを考慮しながら調整していきます。

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これまでの解説では、1回のTEDトークにつき1つの「プレゼンテーション・パターン」を用いていましたが、今回からは2、3パターン用いて、より多面的に、深く解説します。


今日は、Kyleeのパートを先に撮りました。

Shibuya2_420.jpg

撮影終了後、Kyleeと記念撮影。

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その後、僕の解説部分を撮影しました。

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いやぁ、噛みまくったり、言うこと忘れたりで、何度もNGを出しまくりました。(スタッフのみなさん、すみませんでした!)

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カメラが複数台周り、専用の照明に照らされて熱い熱い。頭のなかが真っ白になる条件がばっちり揃っています。

そんな状況で、「本番行きます、5、4、3、…」と声がかかると……汗・汗・汗

なんとも大変だったのですが、スタッフのみなさんの励ましのなかで、解説部分の収録がようやく終わりました。


ちなみに、僕の視点からだとこういう感じです。カメラと目が合います。なかなか恐いでしょう(笑)。

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ほんと、テレビで話すのって、大変。テレビでスラスラしゃべっている人というのは、それだけでもうすごいことなんだな、と実感しました。


そんなこんなで、撮影も終了。

撮影後、スタッフのみなさんにお願いして、集合写真をとらせていただきました。プロデューサーやディレクターの方を始め、みなさんにとてもお世話になりました!ありがとうございました。

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これを読んでいるみなさん。ぜひ今後とも、「スーパープレゼンテーション」をよろしくお願いします!

NHK Eテレ「スーパープレゼンテーション」
毎週月曜 夜11時〜11時25分

(再放送 毎週日曜の深夜の0時45分〜1時10分)
CAST: 伊藤 穣一、Kylee、井庭 崇


あと、そうだ。Kyleeの新しいシングルが出るそうです。

Kylee 6th single 「未来」
2012年6月13日発売!
オフィシャルサイト http://www.kylee.jp/

こちらも、ぜひチェックしてみてくださいね!
このブログについて/近況 | - | -

ルール/制度/やり方の再設計のメディアとしてのパターン・ランゲージ

僕が最近感じている、新しいパターン・ランゲージの意義は、(組織/コミュニティ/社会 における)「これまでの ルール/制度/やり方/こだわり を踏まえて再設計するための方法論」として使えるということ。


ある組織/コミュニティ/社会 において、既存のルール/制度/やり方/こだわり は、ふつうそれだけが継承されるが、その結果、後に(引き継いだ世代で)形骸化し、改変もできなくなることが多い。

世代を超えるときに形骸化しやすいのは、なぜそのような ルール/制度/やり方/こだわり になったのかという「設計意図」が、忘れ去られてしまうからである。

ルール/制度/やり方/こだわり は、本来コンティンジェントなものであり(別様でもあり得た)、そのなかのあるひとつの形(具体的なルール/制度/やり方/こだわり)になるのかは、なんらかの意思決定や経緯によって「選択」された結果である。

その選択に関わった人(意思決定をした人やその経緯を知っている人)が、その組織/コミュニティ/社会からいなくなってしまうと、ルール/制度/やり方/こだわり の設計意図がわからなくなる。こうやって、あとは、ただただそれらを継承するということになりがちになる。

そういう状況になると、その形骸化が問題だと考える人が出てきても、それを「捨てるか/残し続けるか」という二者択一になりがちで、実際には捨てることはできずに身動きがとれなくなる。そうして、形骸化した過去の ルール/制度/やり方/こだわり が残り続ける。

こういうことが、いま、日本でも広く起こっていることなのではないか。戦後、高度経済成長時代につくられてきたあらゆる ルール/制度/やり方/こだわり が形骸化し、おかしくなって、軋んでいるのに、それを変えるための適切な方法がない状態 のように思える。


このような現状において、組織/コミュニティ/社会 における ルール/制度/やり方/こだわり を、パターン・ランゲージとして書いていくと、これまでを踏まえた再設計ができるようになるのではないか。これが、最近僕が感じている、パターン・ランゲージの新しい意義。

つまり、ルール/制度/やり方/こだわり ごとに、それらが解決しようとしている「問題」を明文化し、そしてその問題が生じる「状況」や、問題の背後に働く力「フォース」を明らかにする(これらはパターン・ランゲージの主要要素)。

そうやって、パターン・ランゲージの形式で書いていくことによって、個々の ルール/制度/やり方/こだわり が何のためのものであるのか(設計意図)が明らかになり、それらについて議論したり、扱ったりするのが容易になる。

特に、パターン・ランゲージの強みである「記述単位の小ささ」(モジュール性)が重要で、再設計をする際に、これは捨てて、これを残し、この部分のここを変える、というような取捨選択が可能になる。また、個別の検証を並行してい行うことも可能になる。

日本社会、そしてあらゆる組織が、今後さらに、これまでの ルール/制度/やり方/こだわり を踏まえながらも、新しい ルール/制度/やり方/こだわり のデザイン(再設計)をするということに取り組まなければならなくなるだろう。それを、パターン・ランゲージという方法で支援したい。

それが、僕の考える(組織/コミュニティ/社会 における)「これまでの ルール/制度/やり方/こだわり を踏まえて再設計するための方法論」としてのパターン・ランゲージということ。


なお、これまでの話は、誰かが意図的に設計したもの(ルールや制度など)でなくても、自然発生的にそうなったもの(文化)も対象となり得る。つまり、結果としてうまくいっているから共有され、残ってきたものでも構わないということ。

そういった(組織/コミュニティ/社会)の「文化」についても、それがどのような機能を果たしているのか、ということを考えることで、パターン・ランゲージとして書くことができるはず。

建築家であり、アレグザンダーに師事した中埜博さんも、ルース・ベネディクトの『菊と刀』はパターン・ランゲージ的である、と言っている(パターン・ランゲージの形式やパターン名がついていないのでパターン・ランゲージではないが)。そして、パターン・ランゲージは、文化を記述するのに適している、とも。

このように、誰かが意図的に設計したものであっても、自生的に形成され残ってきたものであれ、パターン・ランゲージとして書き起すことができ、それらを並べて、今後どのように行くべきかを考える(再設計する)ことができるのではないか。


これらはすべて仮説だけれども、現在、動き始めているいくつかのプロジェクトで、このような発想の取り組みをし始めているので、そこでの実践を踏まえて、さらに考えていきたい。

このような発想は、現場との共同研究のための話し合いで生まれてきた。そして、あちこちで似たような感触を感じる。今後も、いろんな人と、話し、考え、つくっていきたい。
パターン・ランゲージ | - | -

パターン・ランゲージのつくり方:部分展開と全体構築の2つのアプローチ

僕の経験からすると、パターン・ランゲージのつくり方には、大きく分けて二つのアプローチがある。ひとつは、いくつかのパターンから書き始めるというもの(部分展開アプローチ)。もうひとつは、全体像を明らかにしてから個々のパターンを書くというもの(全体構築アプローチ)である。

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いくつかのパターンから書き始める部分展開アプローチのメリットは、1つのパターンを書くことからでも始められること。つまり、それほど時間がかからずに、少数のパターンができあがるので、それを利用することもできるようになる。

部分展開アプローチのデメリットは、各パターンが「全体」のなかでどの位置を占めるのかがわからないまま、パターンを書かなければならなくなる点。全体像が見えていないので、どのような粒度や抽象度で書けばよいのかが定かではなく、最終的に一貫性や整合性がとれなくなる可能性もでてくる。

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全体像を明らかにしてから個々のパターンを書く全体構築アプローチのメリットは、全体像がつかめるので、個々のパターンの役割や関係性を意識して書くことができるようになる。また、他のパターンと粒度や抽象度を合わせることができるので、全体として一貫性や整合性のとれたランゲージになる。

全体構築アプローチのデメリットは、かなり大掛かりなプロジェクトになるということ。パターンを書く前に、ブレインストーミングやKJ法など、全体像をつくるためにかなりの時間を費やすことになる。また、パターンの候補も一気に数十個(僕らの経験則だと50個前後)が得られるので、書くのも大変になる。

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このように、部分展開アプローチにも全体構築アプローチにも、メリットとデメリットがある。そのため、パターン・ランゲージをつくるときには、自分の目的やスケジュール、リソースなどを考えて、アプローチを選ぶとよい。

例えば、そのコミュニティ内で、すぐに使えるように、実践知(視点/発想/こだわり)を「共有」したいということであれば、部分展開アプローチがよいだろう。なぜなら、体系立っていることよりも、共有できることの方が大切だからである。

これに対して、ある分野での実践において、多くの人がうまくいかず悩んでいる状況から抜け出すことを支援したいということであれば、苦労をしてでも全体構築アプローチで、しっかりとつくり込むことには意味があるだろう。なぜかというと、そのような状況を抜け出すためには、数個のtipsを知るだけではどうにもならず、ランゲージ全体によって考えることを支援しなければ効果がでないからである。


このような考えから、井庭研ではこれまで、全体構築アプローチによって「ラーニング・パターン」と「プレゼンテーション・パターン」をつくってきた。「コラボレーション・パターン」もこのアプローチでつくっている(パターン・マイニングの活動映像:Brain Storming 編 / Visual Mapping 編)。

他方、クリエイティブ・ラーニングのための教授法パターンや、第二言語によるライティング・パターン、パターン・ランゲージ制作にまつわるパターンなどは、部分展開アプローチでつくっている。少しでも早くその実践知を共有したいと考えているからである。

しかも、実際問題として、同じチーム内で全体構築アプローチのプロジェクトを、複数同時並行で進めることは難しい。ひとつひとつが、かなりの時間と労力と気合いを必要とするからだ。


いま井庭研では、二つの全体構築アプローチのプロジェクトが並行して進んでいる(Collaboration Patterns Project と Generative Beauty Project)。それぞれ10〜15人のメンバーで構成され、メンバーの8割が重なっている。工夫している点としては、時期をずらして始めていること。片方のプロジェクトの後半と、もう一方のプロジェクトの前半が重なるように。

Collaboration Patterns Project
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Generative Beauty Project
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こうすれば、KJ法ばかりやっているとか、パターン・ライティングばかりやっているということを避けることができる。二つのプロジェクトを進めていても、KJ法とパターン・ライティングはまったく違うアクティビティであり、違う頭の使い方をするので、なんとかなっている。

そうすると、もうこれ以上は、全体構築アプローチのプロジェクトをまわすことはできない。なので、そういう現実的な制約からも、残りのパターン・ランゲージ制作プロジェクトは、部分展開アプローチで進めることになる。


以上が、パターン・ランゲージ制作について、制作するパターンとそれがつくる全体の関係に注目したアプローチについてのまとめである。
パターン・ランゲージ | - | -

コラボレーション・パターン プロジェクト活動映像#2

創造的なコラボレーションのパターン・ランゲージである「コラボレーション・パターン」(Collaboration Patterns)の制作活動映像の第二弾をつくった。

第一弾のパターン・マイニングのためのブレイン・ストーミングに引き続き、今回はブレインストーミングで出た「コラボレーション」のコツ/こだわりを、KJ法で体系化した。4日間で計20時間の活動を、映像では1000倍速で一気に駆け抜けます。

短い時間で一気に見るからこそ捉えられるものがあります。ぜひご覧ください!

Visual Mapping for Making a New Pattern Language for Creative Collaborations (Collaboration Patterns Project #2)
Recorded by Collaboration Patterns Project, Edited by Takashi Iba.
http://vimeo.com/42780071

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コラボレーション・パターン | - | -

「構造とつながり」(第二言語によるライティング・パターン)

「第二言語によるライティング・パターン」(Second Language Writing Patterns: A Pattern Language for Writing in a Second Language)プロトタイプ Ver. 0.1のなかのパターンのひとつ。


「構造とつながり」

複数の文が集まってパラグラフ(段落)となる。
パラグラフのメッセージを示すために、個々の文がある。


Context: 複数の文からなる文章を書いた。

Problem: 相互に関係が読み取れない文が並んでいるだけのバラバラな文章になってしまっている。これは、母語で書いたものを訳したときや、第二言語で書き下ろしたときになりやすい。母語で書く場合には、自然と身についている文章力のおかげで、本来はプツプツ切れてしまっている文章の流れが、それなりのつながりをもって書かれているように見えてしまう。しかし、それを他の言語に翻訳しようとすると、本来の切れている状態が露呈することになる。また、第二言語で書き下ろした場合には、個々の文を書くことに一生懸命になってしまい、文と文の関係性にまで意識が及ばないことが多い。

Solution: 一度、ひとまとまりの文を書いたら、それらの文が属するパラグラフ(段落)の構造と、個々の文のつながりを再考する。文は単体で存在しているわけではなく、他の文とともにパラグラフのなかに存在しているおり、逆に、パラグラフで言いたいこと(キー)を支えるために、そこに文が存在している。そこで、一度部分(文)が出来上がった段階で全体(パラグラフ)を見直し、その関係性を再考することが不可欠である。パラグラフの構造とは、例えば、あるテーマについての3つの具体例を示すパラグラフの場合には、単に3つの具体例の文を並べるのではなく、まず冒頭でそのテーマの具体例に「○○」「△△」「××」という3つがあることを述べ、その後にそれぞれを説明する文をもってくる。このようにパラグラフ全体における文の関係を考えるわけである。その上で、個々の文と文の「つながり」は、必要な箇所に適切な「接続詞」を用いて明示する。文と文の間の流れが切れていないかのチェックは、一度頭のなかを白紙に戻して、文章を上から順に読んでいくとよい。口に出して読んでみると、より効果的である。なお、パラグラフをどのように構成すればよいのかについては、『考える技術・書く技術:問題解決力を伸ばすピラミッド原則』(バーバラ・ミント, 新版, ダイヤモンド社, 1999)第I部が詳しく、おすすめである。

Consequence: 論理的で読みやすい文章になる。ただし、構造化を徹底してやりすぎると、文章としての魅力が損なわれる場合もある。そのため、全体として論理的にまとめられていることを前提として、一部が崩れていてもよし、とすることもある。
ライティング・パターン | - | -

「その言語で考え直す」(第二言語によるライティング・パターン)

「第二言語によるライティング・パターン」(Second Language Writing Patterns: A Pattern Language for Writing in a Second Language)プロトタイプ Ver. 0.1のなかのパターンのひとつ。


「その言語で考え直す」

言葉の置き換えではなく、内容の考え直し。


Context: 自分が深く慣れ親しんでいるわけではない第二言語で、文章を書いている。

Problem: 母語で考えたものを第二言語に翻訳するかたちで書くと、第二言語の文章が理解できない/困難なものになってしまう。それは、言語によって省略の度合いや、曖昧さの許容度が異なるからである。特に日本語は、省略が多く、曖昧なままでも意味がとりやすいため、それをベースにして他の言語に訳すと、そのままでは意味をなさないということが多い。

Solution: 母語で考えた文章を第二言語に翻訳するのではなく、言いたいことの意味・内容を第二言語で考え直し、それを第二言語で表現するようにする。つまり、二つの言語間での「言葉の置き換え」ではなく、執筆する言語で「内容の考え直し」をして、その内容を書くということである。

Consequence: 第二言語で読んだときに、意味が通る、より自然な文章になる。
ライティング・パターン | - | -

「その言語でのニュアンス」(第二言語によるライティング・パターン)

「第二言語によるライティング・パターン」(Second Language Writing Patterns: A Pattern Language for Writing in a Second Language)プロトタイプ Ver. 0.1のなかのパターンのひとつ。


「その言語でのニュアンス」

対応する言葉を充てるのではなく、その言語でのニュアンスを踏まえた言葉を選ぶ。


Context: 自分が深く慣れ親しんでいるわけではない第二言語で、文章を書いている。

Problem: 個々の部分では、自分が言いたいことに対応する言葉が一応使われているが、その言語でのニュアンスからするとズレた奇妙な文章になってしまう。こういうことが起きやすいのは、たいてい、母語の言葉に対応する第二言語の言葉を、辞書で調べて書いたときである。それが奇妙な文章になってしまうのは、第二言語におけるニュアンスを踏まえない言葉の選び方をしてしまうからである。言語をつなぐ辞典(例えば、和英辞典や英和辞典)で書かれているのは、意味を極端にシンプル化して対応関係を示してくれているにすぎない、と考えた方がよい。

Solution: 第二言語だけで書かれている辞典(例えば、英英辞典)を用いて、使う言葉のニュアンスを理解して、より適切な言葉を選ぶようにする。そのような辞典では、言葉の意味をその言語の別の言葉で「説明」してくれている。つまり、第二言語のなかでの言葉の意味的ネットワークを示してくれている。その関係性をつかむことが、第二言語での言葉のニュアンスを学ぶことにつながる。複数の辞典に目を通すと、より効果的である。

Consequence: 第二言語でのニュアンスを踏まえた、より自然な文章になる。また、その言語で考えるための概念のネットワークを自分のなかにもち、それを成長させることができる。
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